昨日のブログ記事内、大清水から流れ出た水が合流する用水は、辰巳用水の分流のひとつのようです。合流点以前は特に名称はないようですが、合流後は旧堀切川と呼ばれ、分流と合流を繰り返し勘太郎川につながると、崎浦公民館発行の「さきうら」にあります。

実際に用水を辿ってみるのも興味深いかも・・・。探検~。

さて、小立野台があるため周辺は坂道が多くあります。そのひとつに善光寺坂があります。かつて善光寺という寺院があったため、この名がついたみたいです。

その善光寺坂下に念仏碑があります。

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お墓と思われる方も多いようですが石碑です。

「さきうら」によると場所は特定できませんが、付近には三昧(ざんまい・火葬場)があり、かつて道路沿いにあった碑を、この場所に集めたもののようです。

よくみると大小様々な碑が・・・・。

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そして、これらの念仏碑を過ぎていくと、前述の用水があります。現在はコンクリートの橋(通路)になっていますが、昭和53年頃までは青戸室石のアーチ状の橋(2メートル程度)がかかっていたのを記憶していますし、「さきうら」にも記載されています。

極楽橋と呼ばれたその橋は、紫錦台中学校横の郷土資料館前に置かれています。

地獄橋というのもあったということですが・・・どこだろう?。