「無力(むりき)」 五木寛之著を読了。何気に書店で手にし、中身も見ないで入手。

「むりょく」ではなく「むりき」です。

著者は、仏教~浄土真宗にとても詳しい。

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「自力(じりき)」⇒仏語。自分だけの力で修行し悟りを得ようとすること。

「他力(たりき)」⇒仏語。衆生(しゅじょう)を悟りに導く仏・菩薩(ぼさつ)の力。仏・菩薩の加護。

特に、浄土門で、一切の衆生を救おうと発願した阿弥陀仏の力。弥陀の本願の力。

 

~私自身。他力こそ人間が行くべき最後の境地だろうと思っています。

しかし、だからといって自分がそこへ到達できるかどうかは、別問題です。~

~自分の中にある自力の要素と、他力を憧れる気持ちとのあいだで揺れ動いている不安定な感覚。 そこを「無力」と考えるようになりました。~

 

よく見聞きする「絆」という言葉も、元は犬や馬などの足を縛り、勝手に動けなくする網に語源があり、個人の自由を束縛するという面があります。

本書では、ドラマ・映画等で描かれる理想像である「絆」に幻想を抱かない・・・とまで言い切っています。

 

難しい内容か・・・と思って読み出したのですが、とても読み易いのでした。

読み進めていると、気持ちがほぐれるというか~とても楽チンになってきます。

日々の仕事や暮らしの中で、こうしなければならない!、右へ行くか?左へ行くか?のメリハリの付いた行動を!と、やってきた(つもり)のですが、この本には”ブレ続けてこそ人間と覚悟する”とありました。

投げやり・・・無力(むりょく)に甘んじる・・・のように感じられますが、何事にも”仕方がない”ことがあり、それらを受け入れて生きていくための拠りどころが「無力」。

 

「自力」「他力」「無力」という言葉の意味がホンの少しながら分かったような気がします・・・。

何か~悩みごとが出てきたら、あらためてこの本を開いてみよう。