「義経」 上下巻 司馬遼太郎

古本屋さんにて2冊で200円(税込)で昨年11月に入手し、しばらく積読状態。

ようやく読み終えて、お得感満載!。

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源義経(みなもとのよしつね)というと、平家との合戦で数々の武功をたてたにも関わらず、兄の源頼朝(よりとも)の追討を受けてしまう悲劇的英雄のイメージ。

判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉があるように、この小説は義経を称える内容かと思っていたが・・・。

義経は、戦いに関しては天才的な能力を発揮するものの政治的感覚や人情の機微が、ほとんど欠如していたため朝廷に利用されたり、自ら過失を招いたり。

その結果、鎌倉幕府の政敵として追われてしまった。

この時代は政治的追放=命の危機。

誰も諫言しなかったのか?しかし、それを受け入れることができたのかどうか。

歯痒い思いで読み進んだのでした。

小説を読む限り、これでは追いやられても仕方がない。

 

巻末で義経一派の滅亡を聞き、頼朝は「悪は、ほろんだ。」と述べます。

 

「悪」ということばを頼朝の口からきいたひとびとも、それを洩れきいた世間の者も、京の廷臣たちも

~悪とはなんだろう。

ということを一様に考えこまざるをえなかった。

後世にいたるまで、この天才のみじかい生涯は、ひとびとにその課題を考えさせつづけた。(下巻P498)

 

報道を見ていると、現在も「悪者」は毎日毎日~アチラこちらに現れています。

そして、自分の周りにも現れているし、自分自身の中にも「悪」は現われる・・・。