「五木寛之の金沢さんぽ」

朝刊1面下広告で知って、早速読んでみました。

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50年近く前から、つい最近書かれた作品までを収めた金沢・北陸のエッセイ集。

著者が金沢に縁があることは知っていましたが、昭和40年代初め頃に住まいされたことがあるそうです。

それも小立野に!。

ワリと近所ではありませんか!マッタク知らなかった。

場所は、現在の金沢美術工芸大学と金沢大学保健学類が建つ辺りで、そのアパート(下宿?)は現存しているらしい。

かつての金沢刑務所付近ということで、エッセイに度々登場する刑務所の赤レンガ塀は、何となく記憶にあります。

エッセイが書かれた当時の石引界隈の飲食店や、兼六園を巡り広坂~香林坊へ至るまち並み、また公園下から浅野川大橋界隈の花街の風景を想像しながら読みました。

ほとんど変わらない部分もあるが、ここ20年くらいの間に大きく変わってしまった場所が多い。

まち並みはどんどん近代化し都会となっていくが、エッセイに登場する過去の金沢に想いを至らせます。

昭和40年代に書かれたものがイイですね~。

微かに子どもの頃の記憶にあるが、今の年齢で当時に戻ることが出来たなら・・・今よりもっと風情ある「まち」だった~と思うかもしれない。

 

・・・金沢の人々のつきあい方には節度があり、こちらが孤独でいたいと思えば、それを許してくれる矜持があった。

この街では、はったりやみせかけは通用しない。人々は虚名の背後にあるものを、黙って見ている。

私の考えでは、京都はやさしさの陰に、冷たさのある街だ。

金沢には表面的な冷たさの背後に、やさしさがひそんでいるように思う。・・・

「わが金沢」1967年5月

 

今でも変わらない「まち」でしょうか?。

文中にある通りを歩き、現存するお店に寄って「五木寛之モドキ」の気分に浸るのも一興かと思ふ。

金沢市民のための観光ガイドブックor歴史ハンドブック?としても、おススメ!。

当然ながら金沢には、百万石以前の歴史があります。