「津軽」太宰治

「私は津軽に生れ、津軽に育ちながら、今日まで、ほとんど津軽の土地を知っていなかった。」

戦時下の1944年5月、太宰治は3週間かけて初めて津軽地方を一周。

郷里の風土や歴史、自らにも流れる津軽人気質に驚嘆、慨嘆、感嘆の旅は、やがてその秘められた目的地へと向かう。

ユーモアに満ちたふるさと再発見の書。

書店で何気に手に取ったところ、表紙カバーにこう↑書いてありました。

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人間失格」の暗~いイメージがある作者だが、ユーモアに満ちた・・・というフレーズが気になって読んでみました。

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カバーにも載っている、この地図を見ながら作者と津軽半島を巡る。

 

日本の敗戦が濃くなってきた頃でも、津軽には食べ物は豊富にあります。

国民学校の運動会で、大勢の老若男女が、重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り笑っている光景を見て・・・。

「日本は、ありがたい国だと、つくづく思った。たしかに、日出ずる国だと思った。

国運を賭しての大戦争のさいちゅうでも、本州の北端の寒村で、このように明るい不思議な大宴会が催されて居る。

古代の神々の豪放な笑いと闊達な舞踏をこの本州の僻陬(へきすう)において直接に見聞する思いであった。

海を越え山を越え、母を捜して三千里歩いて、行き着いた国の果の砂丘の上に、華麗なお神楽が催されていたというようなお伽噺の主人公に私はなったような気がした。」(P.219)

津軽の風土と人々を愛し、誇りに思い、訪れる先々でお酒だ~ビールだ~と、飲み続けている太宰治は、決して暗黒の方ではありません。

 

そして、先日読んだ「三陸海岸大津波」も思い出し、長年の厳しい環境下で育まれた津軽~東北人気質は、東北地方の底力・力強さの源でもあると思いました。

地理方向は正反対ながら、現在、起こっている九州地方の震災も同様に、地方の底力で復旧・復興にまい進出来るでしょう!。

 

・・・私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。

元気で行こう。絶望するな。では、失敬。(巻末)