「この国のかたち」一(1986~1987) 司馬遼太郎

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たまに?読みたくなる司馬本。

毎度ながら、莫大で綿密な史料調査と読解力に圧倒されます。

 

司馬遼太郎が夢の中で出会った、不定形なモノ。

巨大な青みどろの粘膜質で、時々褐色や黒色に変わり、形もとらえようがないように変化する。

割れてささくれた爪があり、両目は金色に光り、牙があるが折れている。

わずかに息づいている・・・モノ。

声を発し、「日本の近代(1905年~1945年)」と自称する・・・。

得体の知れないコレは・・・恐ろしくもあり、歴史の渦に翻弄された結果、打ち捨てられている可哀そうな存在なのか?。

 

また、本書で取り上げられた、現在の石川県関係の内容が興味深かった。

・・・しかしこの悲惨な敗北のあと、企画者であり演出者であった”魔法使い”たちは、転任させられただけだった。

たとえば、ノモンハンの首謀者だった少佐参謀の辻政信は上海に転任し、その後、太平洋戦争では大きく起用されてシンガポール作戦の参謀になった。

作戦終了後、その魔法の機能によって華僑の大虐殺をやり、世界史に対する日本の負い目をつくることになる。(P.55)・・・

この少佐参謀は、山中温泉生れのエリート軍人で戦後も作家、国会議員と活躍?したことを、初めて知りました。

司馬遼太郎は酷評ですが。

 

もう一つは「加賀一揆」について。

・・・加賀平野という、わが国の代表的な穀倉地帯なども、古代から存在したわけではなかった。

本来、ヨシ・アシのしげるただの低湿地にすぎなかったものが、ようやく十三、四世紀、鎌倉末・室町初に、自前の入植者~地侍~によって美田になったのである。

功は入植者にあって、政治にはなかった。

守護の富樫氏は、稔ったあとから忍びよってきて、稲穂の何割かをよこせ、と要求しただけといっていい。

(中略)

入植者は、兵農不分のころだから、甲冑も弓矢ももっていた。こういう者たちっを地侍といったのである。

みな小規模だったから、利益をまもるために同類が連合せざるをえない。

この連合のことを、「一揆」といった。(P.210)

“百姓の持ちたる国”といわれて有名だが、百姓=新興の地侍連合であったらしい。

一揆=クーデター。

農民支配による平和な加賀の国・・・のイメージがガラガラと崩れる。

 

しばらくして~二に取りかかります。