「戦国と宗教」 神田千里

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明日を知れぬ乱世に、神仏にすがることにどれほど意味があるのか疑問とみる向きもあるかもしれないが、どの国の戦国大名も他国の大名や武士との、あるいは国内の敵対者との戦いに際して神仏に戦勝祈願を行っていた。

当時の人々は、戦さの勝敗が単に(・・・)軍事力のみで決まるのではなく、人間の力を超えた摂理によると考えていたからである。(「はじめに」)

 

オカルトチックな敵方の調伏(呪詛)が行われたこともあるらしいが、極秘中の極秘。

効き目があったのか?なかったか?興味深い。

 

戦国びとの信仰においては、日本の神々に由来する神祇信仰、外来の仏教に由来する仏への信仰との区別は問題とならなかった。神と仏とは一体のものと考えられ、神祇信仰と仏教信仰は融合していたし、同じ仏教の間でも、例えば比叡山延暦寺と真宗本願寺とは共存し、外来のキリスト教も仏教に類するものとして、受容された。(P.150)

人間の運命をうむをいわさず決定する摂理

仏意・冥慮に適う、神明の加護がある

目上を敬い目下を慈しめ、正直であれ

祈祷など外面の行為よりも内面の倫理を重んじる

・・・といった古来からの「天道思想」が、戦国の宗教観のもとにあるようです。

 

戦国期も現代も日本人の信仰はあまり変わっていない。

 

有名な「加賀一向一揆」は、支配者と民衆の抗争ではなく、守護大名に匹敵する力を持つ本願寺勢力が一揆を起こした。

宗教の力はいつの時代も強大・・・。