月別アーカイブ: 2017年2月
パブリック・スクール
2017年2月13日 ブログ
「パブリック・スクール」~イギリス的紳士・淑女のつくられかた 新井潤美
歴代首相をはじめ著名人を輩出した、イートン、ハロウなどの寄宿制私立名門校パブリック・スクール。
階級が根強く残るイギリス社会において、上流階級の子弟の教育機関でありながら、文化の一部として広く国民に共有されてきた。・・・(本書カバー)
名称はパブリック・・・なんだけど、公立校ではありません。
イメージは中高一貫エリート養成校。
おおざっぱにイギリスには「アッパー・クラス」「アッパー・ミドル・クラス」「ロウワー・ミドル・クラス」「ワーキング・クラス」が存在し、主に「アッパー・ミドル・クラス」以上が学ぶようです。
でも、かつて寄宿生活でのイジメや、罰としてのむち打ちは日常茶飯事だったといいます。
ドロドロ~オソロシイところなんや。
ハリー・ポッターの世界観をイメージ。(ただし映画は見たことがない。)
イギリスならでは~なのかもしれないが、なんか~嫌な学校制度だ・・・。
近年は留学生を受け入れたり、イギリス以外にも「パブリック・スクール」が創設されたりしているそうです。
日本もそうだけど、まだまだ舶来信仰、欧米指向なんだなぁ。
げんきな日本論
2017年2月10日 ブログ
・・・日本は最近、元気がない。
経済のせいだ、と思っているひとが多い。
そういう問題ではない、と思う。
自分たちがどこから来て、どこへ行くのか、それがわからないから。
いま何をすればいいか、わからないから。
そう歴史の方向感覚を失っているからだ。
歴史なら、学校で習った。
でも、ただの暗記科目だったのではありませんか。
自分がいまを生きていることと、関係がありましたか。
歴史とは「物語」。いまがいまであることを支えている、大事な出来事の積み重ねである。・・・
(まえがき)
最近、歴史関連本を読む機会が多いような~。
なぜ日本人は、仏教を受け入れたか
なぜ日本には、武士なるものが存在するのか
なぜ武士たちは、尊皇思想にとりこまれていくのか・・・と18の設問に対談形式で、答え(のようなもの)を導き出していきます。
歴史上の事柄を時系列で覚えるのではなく、何故その事柄に至ったか?が歴史の醍醐味。
日本ってこんなにおもしろい! ・・・どおり興味深い箇所がタクサン!だが・・・、難解な表記も多々。
そういえば以前に、このお二方の「ゆかいな仏教」という対談本を読み始めたが、序盤であえなく挫折していたことを思い出しました。
またチャレンジしてみようかなと・・・。
モンスター〇〇〇
2017年2月9日 ブログ
商業施設は不特定多数の方々が出入りする場所です。
いろんな人がいます。
残念ながら、中には招かれざる人物も・・・。
以前、安心安全な商空間の維持のため、ある人物の来館に際し、立入を規制したり排除に動いたことがありました。
しばらく、このようなことは無かったのですが、それに近い状況が発生。
公的機関に相談したり、予防策を練ります。
人物特定と関係者への連絡で、ほぼ解決に向かいました。
被害といえるようなものは無くてよかったのですが、このような作業に関わると被害者・加害者に関係なく人間は弱い存在・・・ということを感じます。
いろんなところで、モンスター〇〇〇という言葉を聞くようになりました。
自分自身も、そうならないという保証はない・・・?。
監修だった!
2017年2月8日 ブログ
「江戸の家計簿」磯田道史 監修
書店の新刊コーナーで発見し、磯田先生の本なら間違いない!と中身も確かめずに購入。
~著ではなくて、監修でした・・・。
蕎麦・うどん1杯16文(250円)、ウナギ丼200文(3,150円)、串団子1本(4文)63円と、今と食べ物の値段が似ているところがいいですね。
小判1両は、米1石(180キロ)が買えるくらいの価値だそうです。
現在の米価にすると5~6万円相当らしいが、当時の米価とは5~6倍開きがある、ということなので、1両=30万円相当のようです。
かなりの大金。
イラストや図解が多いのでパラパラ読みできて気軽に楽しめるのですが、中身が薄いような~。
立春を過ぎて
2017年2月5日 ブログ
昨日は立春でした。
その通りの春らしい青空が広がっています。(いました、今朝は曇り。)
医王山方面の雪も消えてしまったか。
まだまだ、除雪作業は必要な時期だと思うが(ホントは無い方が)、大したことはないだろうとの希望的観測。
同時に花粉情報が気になる時期に突入です。
前日(2月4日)の名将名言録~にありました。
「彼を知り己を知れば 百戦して殆(あやう)からず」 孫武
情報を蒐(あつ)め 蒐めた情報によって分析した敵の力に対し、己の力がどれほどのもか、と認識する。
自然(花粉)には敵いません。
でも、予防したり~と対策はとれますね~。(スケールの小さい内容だなー。)
〇〇を敵にまわす!?
2017年2月4日 ブログ
「京女の嘘」 井上章一
「ぶぶ漬け、いかがどすか?」を全国に広めた?アンチ京都本の第二弾・・・と思って読むと肩透かしを食います。
ネーミングで買わされた?かも。(出だしはゼッコチョーだったのだが・・・。)
著者特有の文体?で、サクサク読めますが、井上センセの女性論でした。
見方によっては、非難轟々、ブーイング殺到のおそれあり。
そうならないようにも、軽~く読んだ方がいいですね。
嘘じゃないです。
隣は・・・
2017年2月3日 ブログ
とある飲食店にて・・・。
一応、個室的に仕切られていますが、隣部屋とを隔てるのは襖(ふすま)一枚~といった設えの場所。
したがって、声が大きいと会話内容が(聞きたくなくても)耳に入ります。
マア~お隣さんからするとコチラも同様ですねー。
お隣はコチラより大人数(4人?)のためか、やや大きめな声がモレ聞こえて来るのでした。
気にしなくてもいいのだが、ワリと近くの地名や固有名詞が聞こえて来る・・・。
どうしても気になってしまう。
職場に対する不平不満のような内容多し。
イヤイヤ~聞かない、聞かない~気になるけど聞かないことにしよう。
誰しも辿ってきたこと、言ってきたこと、ストレス発散!。
文句を肴に不平不満の共有・・・ということも理解できます。
でもねー、どこかで切り替えないと、リセットしないと不平不満が頭の中に充満してしまいます。
あの方たちは、上手にリセット出来たでしょうか?。
コチラは声を控えめに(多分)話していたつもり。
モチロン、楽しい、美味しい話です。(*^-^*)
自立心
2017年2月2日 ブログ
先月末まで日経朝刊連載の「私の履歴書」は、カルロス・ゴーンさんでした。
日々、すごいなぁ~全世界で活躍する方は違うなぁ~と溜息しかでなかった・・・。
その終盤に子どもたちについての記事がありました。
・・・父親として、子供には自立心をどう芽生えさせるかを常に考え、接してきた。
1つは経済的な自立(finacial autonomy)
2つめは知的に自立すること(intellectual independence)
つまり自分で考え、学ぼうとする意欲を持つことだ。
そして、3つめが精神的に自立すること(emotional independence)
これが究極の自立かもしれない。
子供たちには、無償の愛を与えるだけでなく、自身のアイデンティティーを保ち、物事を判断できるようになってほしいと思っている。・・・
子どもたちだけではない、日本の読者へのメッセージ。
特に2つめの「知的に自立する」にドキッ!とするとともに、胆に銘じたいと思いました。
これが全てにつながっている。
画像では小さく不鮮明で分かりにくいですが、ゴーンファミリーの皆さん眉毛濃いですね・・・。
如月 朔日 逝きし世の面影
2017年2月1日 ブログ
「逝きし世の面影」渡辺京二 著
一旦読みだしたが600ページにもなる大書にて途中挫折、~本棚の肥やしに・・・。
数年ぶりに手に取り再読開始しました。
幕末~明治期に来日した欧米人による日本と日本人の記録。
彼(ミットフォード)は1867(慶応3)年、開港の可能性を探るため、公使パークスとともに能登半島の七尾港を訪れたのであるが、その後公使の命によって加賀藩領から越前藩領を通って大阪に出た。
加賀の国の旅について彼は書いている。
「行くところはどこでも、金沢での滞在をあれほど楽しくしてくれたのとおなじように、思いがけないほど親切にわれわれを受け入れてくれた。驚きの念を禁じえなかったのは、沿道の村や町が豊かに繁栄していたことだ。人口が二千の松任や、二百五十の小松の町を通ったが、加賀候の寛容な統治下にあって、日本の他の地方では見られないほど幸せな生活を送っているようにみえた」さすがは百万石のお国振りといいたいところではないか。(P.108~109)
といった、当地についての記述もあります。
当時の外国人が感嘆した国民性、工芸美、景色の数々・・・。
100年以上前の『原・日本人』が持っていた宗教観、自然観、美意識・・・モチロン美しい面ばかりではなく、猥雑な面も書かれていて興味深い。
日本の原風景。
見るからに分厚いし中身も濃いので、当初は苦労?しながら読んでいましたが、途中からはスムーズになり、残りページが少なくなるのが寂しくなって来たり~。
でも、よく見かける薄っぺらい日本礼賛本とは違います。
「幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へと誘わずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明であった。徳川後期社会は、いわゆる幕藩制度の制度的矛盾によって、いずれは政治・経済の領域から崩壊すべく運命づけられていたといわれる。そして何よりも、世界資本主義システムが、最後に残った空白としての日本をその一環に組み込もうとしている以上、古き文明がその命数を終えるのは必然だったのだと説かれる。」(P.568)
本書で描かれたのは無くなってしまった徳川後期文明。
伝統文化・・・よく聞くフレーズだが、古くからの形やモノが残るものがそうなのか。
日本古来の『文明』は無くなってしまったのですかねぇ?。