月別アーカイブ: 2017年3月
オデュッセイア
2017年3月16日 ブログ
ホメーロスのオデュッセイア物語(上)(下)
「朗読者」でミヒャエルがハンナに読んで聞かせた古典叙事詩「オデュッセ(イ)ア」。
タイトルは聞いたことはあるが内容は知らず・・・早速読んでみます。
「岩波少年文庫」、子供向けかぁ~と思ったが、挿し絵もあってたいへん読み易いのでした。
神々と人間が共存する世界で繰り広げられたギリシアの英雄オデュッセウスの波乱万丈、艱難辛苦の航海譚。
苦労の末、20年ぶりに故郷のイタケー島へ戻るが・・・。
ドラマチックな各場面は欧米人の常識・教養なのでしょう。
著名な絵画や彫刻の題材になっています。(マッタク知らなかった。)
美術館などで、それらの作品をみた瞬間に、「オーコレハ、『オデュッセイア』ノ場面デスネー。ベリー、ファンタスティック!。」なんて、会話になるのだろうなー。
子供向け図書にしては、かなりエグイ場面(これくらいは全く問題無い?。)もありましたが古典なので許されるのでしょう。
勝手な想像ながら、やや大人のファンタジーを想起させる箇所もあったり・・・。
3000年以上も語り継がれてきた物語には、嫉妬、羨望といった人間の暗黒面とそれらを打破し希望と勇気を持って困難に立ち向かう理想像が描かれる。
人間はあんまり変わっていないのだなぁ~。
余裕~ある?
2017年3月15日 ブログ
仕事やプライベートでも、連絡取り合って後、直接会って打ち合わせする機会は多々あります。
そこで、フト・・・思った。
現在は、携帯電話・FAX・メールが無かった時代はどうしていたのだろう?と、思うくらい便利になっている。
歴史小説では、文(ふみ)をやり取りしたり伝令が口上を伝えたり。
明治期~近代モノでは、手紙・電話・電報。
時間と気持ちに余裕がないとイライラ~するかも。
昭和になってもそんなに変わらなかったのが、今や大激変です。
昔の伝達は生物的な速度なので、ストレスなく幸せだったのかもしれない。
ノンビリ~から、効率アップ、スピードアップ・・・で便利にはなったのですが、すぐ連絡取れるし大丈夫!と思っていて土壇場になって連絡することも、無きにしも非ず。
その場合の結末は、概ねアンラッキーです・・・。
情報伝達はスピード感があっても、気持の上では余裕があった方がイイな。
その他、何でも余裕あった方がイイ。
ムタムタになってしまいますから。
2017年3月13日 ブログ
鳥のさえずりのようにこっそりと、春のつぶやき(ぼやき)。
何も考えず身体を動かすだけで、ずっと同じことを繰り返していれば、疲労はするが気楽だと思う。(ルーティン作業)
当人が、納得していればそれでいいのかもしれない。
でも、それでイイのですか!?。
こうしたら~スピードアップできるかも?、チョッとした工夫が作業効率を上げ、その結果が現れればウレシイ、楽しい。
これが仕事でしょう!。
この積み重ねが大事だと思う。
働(はたら)くは、傍(はた)を楽(らく)にする~につながるとも言います。
(周りばかりを楽にして、自らが疲弊していたら本末転倒だが。)
私は、それよりも先ず自分が楽をするにはどうすればいいか?を、考えます。
ズルイ考えかもしれないが、やるべきことが重なってくると、何でもかんでも自ら行うには限界がある。
創意工夫しよう!。
必要に迫られると人は考え行動する!(ハズ)。
冷静になろう(^_^メ)・・・そこまで達していないのかなぁ。(残念)
サピエンス全史(下)
2017年3月10日 ブログ
「サピエンス全史」(下)なんとか読了。
「ホモ・サピエンス(賢いヒト)」と自ら名乗る、現生人類の行く末は・・・。
近代に至って、なぜ文明は爆発的な進歩を遂げ、ヨーロッパは世界の覇権を握ったのか?その答えは「帝国、科学、資本」のフィードバック・ループにあった。
帝国に支援された科学技術の発展にともなって、「未来は現在より豊かになる」という、将来への信頼が生まれ、起業や投資を加速させる「拡大するパイ」という、資本主義の魔法がもたらされたのだ。~(本書カバー)
下巻は近代~現代~未来のホモ・サピエンスの行ってきたこと、そして行うであろう(かもしれない)ことが描かれます。
かなりオソロシイ(おぞましい)・・・それは、何を望みたいか?かも。
終盤の第18章「国家と市場経済がもたらした世界平和」・第19章「文明は人間を幸福にしたのか」・第20章(最終章)「超ホモ・サピエンスの時代へ」は、一気読み。
つたない知識・常識がひっくり返るくらいの衝撃がありました。
何かと課題や問題もありますが、同時に希望も~。
何といっても「賢いヒト」なのですから!。
上下巻とも付箋を貼ったページが沢山あります。
それにしても、若くしてこのような書を著すなんて・・・同種のサピエンスなんですがー。( ゚Д゚)
次の次は?
2017年3月9日 ブログ
運輸業界に続き、小売業でも働き方の見直しが広がっているようです。
『小売業界で営業時間を短くして人材を確保する動きが広がる。ファッションビル運営のルミネは4月から東京都内の旗艦店などで閉店を30分早める。営業時間を延ばして来店客を呼び込んでいたスーパーも見直す。営業時間の短縮の動きは外食で先行していたが、深刻な人手不足を受け小売り各社も働きやすさを重視する戦略に転じる。』
売上高より利益重視・人材確保ですねー。
休業日短縮・営業時間延長は過去のモノになりつつあります。
ファッション系、百貨店、ファミレス、総合スーパーの全盛時代も同様~。
ライフスタイル・経済情勢の変化、次の一歩の次?くらいを見なければイケない?。(難)
しかし、コンビニ各社の出店競争は続いているので、売上重視・過剰労働の現実は変わらない一面も・・・。
その話題でいくと、パレット周辺もコンビニが増えてきました。
立地の良さもあるかもしれないが、コンビニ出店増は我々の力不足にも一因があるかもなー?。
クロネコの乱
2017年3月8日 ブログ
宅配便最大手のヤマト運輸が、今秋を目途に運賃の値上げする方針のようです。
ネット販売では翌日配達、一部送料無料、配達時間指定サービスが一般化。
それが当たり前になってしまい、荷物が早く着かないと苛立ってみたり・・・。
その結果、人手不足・過労働・残業代未払い問題で業界全体が疲弊してしまった。
本日のように季節外れの降雪なんかがあったりしたら、輪をかけて混乱する。
宅配サービスを維持するためには、ある程度の値上げは仕方ないと思います。
これを機に過剰サービス・低価格指向に歯止めがかかるか?。
デフレ脱却なるか?。
また少し前から、宅配業者の違法駐車・サービス残業・乱暴な荷物の扱いが問題視されていましたが、これは運賃値上げを正当化し、世論を納得させるための布石だったのでは?・・・とムタムタ思ったり。
クロネコがツメを研ぎだした・・・。
「便利さ」を支える裏面が、またアカラサマになりました。
サピエンス全史(上)
2017年3月7日 ブログ
「サピエンス全史」(上) ユヴァル・ノア・ハラリ 芝田裕之・訳
アフリカでほそぼそと暮らしていたホモ・サピエンスが食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いたのはなぜか。(本書カバー)
現生人類(ホモ・サピエンス)の歩みと自然科学史。
かなり前に読んだ「銃・病原菌・鉄」のように、押しが強いというか~ガンガン来ます。
心もとない常識や知識(だと思っていたコト)は何だったのだろう?。
我々は「虚構」と「神話」の中で文明を築き、繁栄(と勘違い)しているだけなのか・・・。
下巻はもっと辛辣な気がします。
Crowしています?
2017年3月6日 ブログ
管理事務所内の席は窓際なんで、屋上駐車場の混み具合(空き具合・・・)をチラチラ見ています。
最近、気づきました。
2~3羽のカラスが、屋上からの降りスロープ口付近にたむろしている時がある。
日向ぼっこ?では、なさそう。
駐車場に降りたり、建物上部に居たりを繰り返しているようです。
以前、車道に殻のままのクルミを落とし、クルマが踏んで割った後に舞い降りて中身を食べる~というのを聞いたことがある。
カラスは頭がいい~らしいので、駐車場内のクルマに固い何かを踏ませて、その中身を食べているのかもしれない。
駐車場は一般道より交通量も少ないのでクルマと接触する機会もほとんど無い、安全地帯と思われたのかも。
カラスも知恵を出し工夫しているのでした。
窓際のぼーッとしている人間をあざ笑っているのかもしれない・・・。
そういえば、ゴミ集積場でのカラス対策で、やって来るカラスに「おはよう!」・・・といった挨拶をし続けると、カラスが来なくなるというのを聞いたことがあります。
仲間だと思いコイツの縄張りは荒らさないでおこう・・・と思うらしいのですが、真偽のほどは?。
試してみる価値はあるか?。
アマノジャク的に
2017年3月5日 ブログ
大暴れのトランプさんに、韓国のドタバタ~突然のマレーシアでの古いスパイ小説みたいな事件。
・・・いろいろあるなァ~と思っていたら大阪の学校法人と政治家のつながりが出て来たり、またまた豊洲市場移転の騒動で賑わって?います。
とにかく目を引くニュースが目白押し。
分かりやすい?というか、悪者捜しのような感じがします。
さて、コトの本質、正義は何処か?。
また、もっと大事な報道すべきことが、これらのニュースの影になって隠れてはいないか?。
モチロン不正を正すことはとても大事なことです。
しかし、皆が皆、同じことに注目し評論するのではなく、こんな時こそ他の報道に注目するのも大事かな?と、ちゃべちゃべ思ふ。
アマノジャク的に・・・。
朗読者
2017年3月2日 ブログ
「朗読者」 ベルンハルト・シュリンク 松永美穂 訳
次回の読書会課題本。
15歳のぼく(ミヒャエル・ベルク)は、母親といってもおかしくないほど年上の女性と恋に落ちた。
「なにか朗読してよ、坊や!」
ハンナ(シュミッツ)は、なぜかいつも本を朗読して聞かせて欲しいと求める。人知れず逢瀬を重ねる二人。だが、ハンナは突然失踪してしまう。・・・(本書カバー)
青春小説?のような展開にドキドキしながら読み進めます。
ミヒャエルが朗読するのは「オデュッセア」「カティリナへの演説」「エミーリア・ガロッティ」・・・って何?。
タイトルすら知らない、モチロン内容も。
15歳でこんな本を読むのか!ドイツ恐るべし!。
「古事記」や「源氏物語」と同じ感覚なのでしょうか?・・・知らないこと大杉です。
物語の舞台は1960年代~80年前半のドイツ南部。
この時代まで、戦争犯罪の裁判が続いていたとは知りませんでした。
それも、自国民を自国民が裁くという形で。
とっくに終わったはずの戦争が、まだ暗い影を落としていたことに軽い衝撃を受けました。
重い内容ながらも、読後感は「あーこれで良かったのだ・・・。」でしたが・・・。