月別アーカイブ: 2017年8月
当たり前の日常
2017年8月15日 ブログ
暑い日が続いています・・・。(やや、涼しくはなりましたが~)
こう暑い日が続くと体調管理はもっともなんですが、館内空調機器トラブルの有無が、とても気になるのでした。
朝イチの空調機器の始動・稼働音を聞いて安心。
外出先から戻った時にも、稼働音が聞こえるとホッとします。
動いていて当たり前なんですが、以前に発生した動作不良時の記憶が甦ることも・・・。
トラブルを防ぐためのメンテナンスはしっかりと行ってはいるものの、何があるかはワカラナイ!。
また、あってはならないことながら、自然災害で停電発生!ということもあり得ます。
暑い時期でも快適な空間を保てています。(取りあえず、一応)
ホントに、絶妙なプラスとマイナスのバランスが保たれた中に、当たり前の日常があるのだなぁーと感じるのでした。
その当たり前の日々があることに感謝!!。
先日の館内設備トラブルの真新しい記憶もありますので・・・。
スマホ紛失案件
2017年8月14日 ブログ
タマに発生するスマホ紛失案件・・・。
ある時は自宅机への置き去り。
そして、よくあるのがカバン内で見当たらなくなること。
いつもは、カバンの内ポケットに入れるのだが、そのままカバン(トートバッグタイプ)に放り込むことがあります。
中身が煩雑にならないように、バッグインバッグ&ファスナー付きクリアケースで分けてあるのだが、スマホが紛れてしまうことがあるのでした。
今回もカバン内に見当たらない!。
自宅に忘れたか?と、取りに戻るも無し。
よし!「アイフォンを探す」を使おう!。
アレレ・・・身近にあるじゃないか!。
まさか、カバンの中?・・・底の奥で発見。
トートバッグは若者振れる?ので、愛用していますが「アレ?無いぞ」っと、ゴソゴソ中身をアッチやり・コッチやりすることがあります。
その度に中身が撹拌されて探し物が紛れることが・・・。
キチンと入れる場所を決めておかないとダメだな!と、毎回毎回思ふのでありました。
それから・・・
2017年8月12日 ブログ
「それから」 夏目漱石
文学史に出て来るような作品は未読ばかりなので、徐々に読んでいきたいなーと。
高等教育(旧帝大卒)を受けたものの職には就かずに資産家の実家から、家と月々の生活費をあてがわれて、自由気ままに暮す代助(主人公)の恋愛譚。
物語の時代(明治後期)は、このような高等遊民を抱えることが出来た豊かな時代だった?。
実際に代助の実家は裕福で、生活風景も興味深い。
やがて、主人公の日常が描かれる、やや退屈な展開から急転直下~結末の落差・・・。
現実的ではないから小説なのでしょうが、もっと他の方法もあるでしょう?と、主人公に言いたくなります。
「それから」~のタイトルから穏やかな内容と結末を想像したのだが~。
それから・・・ジャマないんか!!。
講釈たれる
2017年8月11日 ブログ
毎年、この時期に学生諸君向けの講話をするようになって5年経ちました。
今年も、その時が近づいています。
ワンパターンな内容ですが、聞く学生が毎年変わるので問題ないか?。
少し付け加えようか?、でも原稿を見てばかりではいけないし、そのままでもいいか・・・と考える。
〇 何故、仕事をするのか、働くのか?
〇 仕事(Business)と作業(Work・Labor)
〇 仕事を楽しむ
〇 モノの見方
〇 興味・好奇心・観察力を持つ
〇 想像する
〇 郷土自慢、郷土愛
〇 Unsung Hero(賞賛されることはないが、ちいさな当たり前のことが出来る人)
〇 感謝を声に出して「ありがとうございます」。
仕事も日常生活も、一人では出来ない。様々な人たちによって支えられていることを忘れずに~。
・・・の項目に沿ってムタムタとはなしますかぁー。
話の専門家ではないから、下手でいいのです!。
世の中には知らないことが無数にある
2017年8月8日 ブログ
「死ぬほど読書」丹羽宇一郎
新聞広告にあったり、書店で平積みだったのでパラパラ読み。
読みやすそう。
平易な文章で、暑さで集中しづらい夏向きの内容かもしれません。
学生?若い人向けか?。
個人的な読書感と似た部分があることも、読みやすさの原因。
タイトルほど大げさではありません。
・・・「問題は人との関係であり、一人で解決するものでもない。他人への想像力と共感が、解決へ導いてくれる。問題がある限り、またそれを解決する答えも必ずどこかにある。問題があるというのは、生きている証だ。問題があることを喜べ。」
人間一人では生きていけない。人間一人の力はたかが知れている。・・・(P.143)
塩の道
2017年8月4日 ブログ
「塩の道」宮本常一
以前、読んだ「忘れられた日本人」の著者名を覚えていて~書店でタマタマ手にしました。
・・・それは、牛の分布を通してみることができるわけで、しかもそれらの牛の歩いた道が街道ではなくて、ほとんどそれに沿うた細道をたどっている。その理由はさきほど述べたように、牛の飼葉が道端の草でまかなわれたということであり、荷を運ぶのは夏のころが多かったこともわかりますが、そういうものは記録にならないのです。
われわれの目の見えないところで大きな生産と文化の波が、そのような形で揺れ動き、その上層に、記録に残っている今日の歴史があるというわけです。これはとりもなおさず、じつは国民のわれわれが国全体を支えていたのだということをご記憶いただきたいのです。・・・(P.60)
時代の経過とともに、地域ごとの風習や伝統が薄まりつつあります。
文献で伝わり継承されていくモノもあれば、口伝えの中で内容が変わったり、無くなっていくモノもあるでしょう。
民俗学に興味があります。
こういう本を読むことで、後々に伝えるという「媒体」としての役割もあるのかな?との思いも少しだけ。