月別アーカイブ: 2019年6月
当たり前のこと・・・
2019年6月14日 ブログ
急に言われても、対応できないことってありますね。
そういうことに振り回されないように、当たり前のことにならないように対策してきたのに関わらずにも。
なんとか~その都度対応できないこともないが、それが常態化、当たり前になるのが嫌だったりします。
「当たり前」の反対語は「感謝」だそうです。
同様のことを言われても「ありがとう、助かったわ~」ということであれば、こちらももっと前向きに捉えられる。
ちょっとボヤキでした。
気を付けなければ。(;一_一)
税金が取れない世界
2019年6月11日 ブログ
6月8日(土)日経紙 15面 大機小機にありました。
人工知能(AI)の発達で周り回って税金が取れなくなるようです。
多くの労働者の賃金が下がり所得の二極化が起こる。(もう起こっている。)
一部の高額所得者は、AIを操り軽税率国や租税回避地(タックスヘイブン)に富を移動させて蓄える。
いわゆるGAFAへの課税問題もこの一部。
また、ポイント制や物々交換アプリなど、金銭価値で評価できない存在が広がっているため課税しにくい世界に。
AIに負けないように人間力・資質を高める教育を進めるためにも国家の財源(税金)が必要・・・。
(ベーシックインカムも触れられていたがここでは割愛します。)
AIが拓く明るい未来が語られることが多いが、問題も同時発生。
何事もバランスが大事なのだな~と。
おろしや国酔夢譚
2019年6月8日 ブログ
「おろしや国酔夢譚」 井上靖
・・・1782年(天明2)年、伊勢白子の浦を出航した神昌丸は、暴風のなかで舵を失い漂流、船頭・大黒屋光太夫と16人の船乗りたちは、アリューシャン列島の小島へ漂着した。厳寒のシベリアを往来し10年の月日の後に故国の土を踏めたのはただのふたりだけ。・・・(本書カバー)
「歴史の中の日本」で紹介されていたので読んでみた。
本書冒頭の物語舞台のアリューシャン列島・カムチャツカ半島・大シベリアの地図をその場面、場面で開きながら読み進める。
今でこそ船舶・飛行機で移動できる距離だが(しかし積極的に行きたいとは思わない)、帆船とソリしかない当時の移動と極寒の地は、読み手の想像域を超えていたと思います。
夏季とて蚊やハエが大発生するようだし・・・。
そんな辺境の過酷な地でも原住民はいるし、野性動物の毛皮を求めてロシア帝国の商人が進出していた。
光太夫たちは、故郷に帰ることに不撓不屈の意志で臨み、言葉を覚えたりと環境に順応していきます。
光太夫たち以前にも、日本漂流者がロシアにいたことも明らかに。
史書に残らなくても、そのような人物は何人もいたのでしょうね。
過酷な環境で生きのびられるというのは、生まれつき持っている潜在能力の力なのだろうか、なんとしても故国へ帰る!との強い意志の力、その両方かも。
洗礼を受けロシアに残ることを選んだ仲間もいたが。
光太夫は、ロシア商人ラックスマンの協力を得て、女帝エカチェリーナ2世に謁見を賜り、やがて帰国が実現します。
~それで、めでたしめでたし・・・とは、ならないのが「おろしや国酔夢譚」のタイトルどおり。
日本国民が「国」という認識を持つのは、明治期以降。
光太夫は「日本」ではなく、故郷の伊勢白子浦に帰りたかった・・・。
(仮称)リ・ボーン計画
2019年6月7日 ブログ
売上が減る・・・では、増やそう!ということになりますが、賃貸料収入が主なので一旦減少した売上を回復させるのは、なかなか難しい。
売上も大事だが利益の確保も考えつつ、空いたスペースへのテナント誘致と同時に、経費削減にも取り組みます。
やみくもに経費削減!ではなく、ホッタラカシにはできない老朽化しつつある館内設備の整備は進めました。
徐々にではありますが~。
行政指導もあり2014年に屋上広告塔を解体撤去します。
この頃から建物耐震強度診断の実施もいわれていたので、この広告塔撤去は将来的な建物解体も意識していました。
そして、2015年初頭にかけて建物耐震強度診断を行います。
・・・その結果は、強度不足であり大規模な耐震補強工事が必要との結果。
その後も有力専門店退店が続き、マサに踏んだり蹴ったり状態・・・。
このままではいけない!。
耐震補強工事を行ったとしても、巨額な工事費を回収できるだけの売上が見込めるのか?、流通大激動時代の波に翻弄されるだけ!・・・との気持ちを強く持ったのでした。
心の奥にある「建物解体」を前面に持って来なければ。
それを受けて、2015年終盤頃から密かに〇〇〇社とコンタクトを取ります。
フェアな方法ではないが、一人でコソコソ活動。
2020年の東京五輪くらいまでには具体化したいな~と考えていたが、2016年夏に発生したキーテナント破産を受けて、計画を1年前倒しすることにしました。
駆け足で進めなければ!・・・ということで、パレットテナント会役員と面談して考えを伝えます。
「(仮称)リ・ボーン計画」として、関係者との折衝が本格化するのは、その頃から。
その後は、書けないような?(;”∀”) いろんなことを経て、2018年3月31日にショッピングタウン パレットを閉鎖するに至ります。
2010年に「経営理念」を作成した時点から、現在の状況を想像していました。
中長期的な視点かつ客観的に自社を見ることがことができて、良かったと思っています。
数日に亘ってちゃべちゃべと綴ってきたのは、今の状況をあらためて、そして客観的に見直そう~と思ったからです。
そういう気持ちにやっとなれたということかも。
ここに至るまで、本当にいろんなことがありました。
多くの方々にご協力いただきました。
この計画・この瞬間のために、これまでの人間関係を始めとする全てのつながりや、出来事が在ったのだ!と、強く感じました。
無駄なことは一切ないのです。
周りの全てに感謝、ありがとうございます!。
すべてを記すことはできませんが、ある程度オープン?にすることで、気持ちの整理をしたかったのでした。<m(__)m>
そして、新たな計画?に向かいます。
激震走る!
2019年6月6日 ブログ
経営指針を作成し終えた時点(2010年の年末)でのパレットは、地域密着型ショッピングセンターとして、必要な店舗と機能は備わっていたと思います。(一応・・・)
年に2~3のテナント店舗の出退店はあるだろうが、これからも立地の優位性で5年間くらいは現状で行けるだろう・・・その間に、より具体的な将来構想を描こう・・・と考えていました。(非常に安易)
2011年3月、東日本大震災・・・日本全土が大きな衝撃に包まれている最中に、当パレットにも激震が走りました。
サブ・キーテナント的な存在で、当社の売上割合も大きい金融機関が、ほぼ同時に2行とも年内撤退するという通告が・・・。
経営指針内の数値や財務の目標値は、絵に描いた餅状態・・・完全に再構築する必要に迫られる。
今、思い返しても冷や汗を感じます。(^_^;)
・・・悩んでいてもしょうがないので、応急処置的対応に没頭しました。
関係者との打ち合わせや、さまざまな交渉に奔走・・・と同時に、地方零細ショッピングセンター運営企業の悲哀を強く強く感じることに。
有力テナントの減少と穴埋め的リーシングが続く、このショッピングセンターに未来はあるのか?将来構想は?このままでいいのか?。
出来たばかりの「経営理念」を携えて、走りながら考えた日々・・・。
経営理念について
2019年6月5日 ブログ
石川県中小企業家同友会という団体に所属しています。(現在も)
同会で毎年開催される「経営指針成文化講座」という課程を2010年に受講しました。
(もう9年も前か・・・)
半年かけて経営理念・戦略・行動計画・進捗管理を含む「経営指針」を作成するというものです。
当時は、第36期(2010年11月~2011年10月)の経営指針を作成。
その過程で、今までの決算書を引っ張り出して社歴・業績~売上の推移をマジマジと見ました。
そして、将来どうなるのか?どうすべきなのか?も同時に考えた。
その結果、次のような「経営理念」を策定し掲げることになります。
赤坂ビル株式会社「経営理念」
私たちは、お客様と相互信頼の関係を築き、
住みたくなる地域づくりに貢献できる商業施設を創ります。
<社会性>
お客様が求める商品・サービス提供はもちろん、様々な地域活動の交流拠点・地域のプラットフォームとなる地域共生型の商業施設を目指します。
<科学性>
商業施設の管理運営を行うことによって、流通における様々な価値観を学び・研究し、お客様にとってベストな商環境(空間)を提供していきます。
<人間性>
楽しく働くことを第一に、明るく喜びあえる会社(商業施設)を創るために、自身の生活・人生が、より豊かなものとなるように、この会社を舞台に、その夢の実現のため、自分の仕事に、やり甲斐と誇りを持って、何事にも挑戦します。
「経営理念」では、あえて「ショッピングセンター」と書かずに「商業施設」としました。
パレットというSCを管理運営していたのにも関わらず。
その頃から、いつかはショッピングセンターではなくなる・・・との思いが、指針を考えるうえで頭の片隅に出てきていたのでした・・・。
振り返り
2019年6月4日 ブログ
2年前(2017年)の今頃は・・・旧パレット解体を関係者に告知してから2ヵ月経過したくらいでした。
当時の手帳を見ると、さまざまな打ち合わせや交渉のメモが記してあります。(なつかしい・・・)
もう数年遡ってみました。
2013年頃から建物の耐震強度調査を金沢市から言われるようになっていたが、義務ではないので、そのままにしてあった。
2014年に耐震強度調査が義務化されたので、調査をすることに。
この頃から調査の結果次第では・・・建物解体も・・・と考えていました。
ちょうど同時期に、サブ・キーテナント的な店舗の退店が続きます。
そのことで、さらに気持ちが揺らぎ始めることに・・・屋上防水や空調設備の不調も目立ちだしているし・・・。
建物リニューアルも考えたが、現在のテナント構成で再投資可能な店舗はいくつあるのだろうか・・・。
さらに遡る2010年に作成した経営理念と指針に、不安な気持ちをすり合わせながら悶々とした気持ちに陥っていたのでした・・・。(^_^;)
しばらく続けます・・・。
情報型組織の楽譜
2019年6月3日 ブログ
ドラッカー365の金言 6月3日 情報型組織の楽譜
~病院ではあらゆる専門家がカルテという共通の楽譜を手にする。~
・・・情報型組織に必要な条件は何か。オーケストラにおいて、一人の指揮者のもとで一〇〇人の音楽家が演奏できるのは、全員が楽譜をもっているからである。病院では、あらゆる専門家が患者の治療という共通の任務についている。カルテが楽譜の役を果たし、レントゲン技師、栄養士、理学療法士、その他全員にとるべき行動を教える。換言するならば、情報型組織には、具体的な行動に翻訳できる明確で単純な共通の目標が必要である。・・・
情報型組織・・・ではない組織(集団)にも、共通の目標は必要です。
分かりやすいのは、数値目標である売上~利益でしょう。
確かに大事な目標です。
でも、チョッと考えた。
令和の時代は、数値目標だけの組織でいいのだろうか?。
全員が専門家・スペシャリストの組織でないといけないのだろうか?。(官庁や病院はそうでないといけないが)
・・・と考えた自分は、カルテも楽譜も読めない・・・。
定期観測麺
2019年6月2日 ブログ
ほぼ一ヶ月ぶりの観測麺。
いつもは、醬油とんこつだが今回は塩ラーメンにしました。
そして、いつものほぼトッピング全部のせバージョン。
実は、昨夜からコレを食べようと画策していたのでした・・・。
今回は、厨房もホールも、お店スタッフ全員が女性でした。
いつもは、野太い声?の男性スタッフが厨房を仕切っているのだが、見当たらず。
一瞬不安を感じるが・・・目の前のラーメン(画像)を見て安心しました。
かえってトッピング配置がいつもより整っている気がします。
味も問題ない!(当たり前だが・・・)美味しい。
誰が作っても均一のラーメンができることは、調理マニュアルとトレーニングが徹底されている証。
その仕組みが出来ていることが、当たり前だけど素晴らしいと思いました。
明らかにすると定期観測店(麺)とは、久安にある「岩本屋」さんです。^_^
水無月 朔日 吾が敵は・・・
2019年6月1日 ブログ
名将名言録 一日一言~ 六月一日
「吾が敵は本能寺に在り」 明智光秀
・・・備中高松城攻めの羽柴秀吉を加勢すべく命じられた光秀は、一万三千の兵を率いて丹波亀山城を発した。老の坂下の沓掛から道を南へとれば西国街道、東へ向かえば京都である。光秀は「信長に軍装を見せるために入京する」と偽り、道を京都へととる。桂川岸で軍装を整えた明智軍は川を渉る。ここでついに光秀は「敵は本能寺」と号令、攻撃目標が主君、信長であることを明かした。・・・
天正十年(一五八二)六月二日未明に本能寺は猛炎につつまれる・・・。
何故、光秀は主君打ちをしたのか?影の首謀者はいるのか?、信長はどこへ消えたのか?・・・とても興味深い日本史上の謎・ミステリーです。
いろいろと謎解きした説はありますが、真実はどうなのか?。
先月末あたりから始まった、日経文化面の特集「令和の知をひらく」があります。
そこでは、歴史学者の呉座勇一氏が「絶対の正解 求める危うさ」を語っていました。
・・・歴史に限らず「唯一絶対の正解があり、そこに必ずたどり着ける」と考える人は多いが、現在の複雑な社会で、簡単に結論の出る問題はない。性急に答えを欲しがり、飛びつくのはポピュリズムだ。
新しい時代を生きる上で重要なのは「これが真実」「こうすればうまくいく」という答えらしきものに乗せられることなく、情報を評価するスキルではないか。ネットを通じ、情報の入手自体は簡単になった。それをいかに分析し、価値あるものを選び出していくか。歴史学の根幹はこの「史料批判」にある。リテラシーを身につけるひとつの手段として、歴史学の研究成果に親しんでもらえたらと思う・・・・
歴史を楽しむ?ことで、スキルアップ~。
「本能寺の変」は、史料が少ないうえに400年以上も前のことだから、「真相」を求めるのは無理でしょうね。
でも、推理する楽しさはあります。
歴史上の出来事ばかりではなく、現在~未来のことも推理・予想することが大事なのでした。
正解のない課題ばかりだが・・・それも自分で考える!。
吾が敵は、安易に答えを求めることに在り・・・。