「鬼とはなにか」まつろわぬ民か、縄文の神か 戸矢 学

・・・かつてこの国には、いたるところに神がいた。山や森、川や海、さらには風も太陽も月もことごとく神の居場所か神そのものであった。それはわが国の伝統信仰である神道(かんながらのみち)そのもである。

そして不思議なことに鬼の居場所も、しばしば山奥や森の中、海の中の離れ小島、そして雲の上で風の袋を抱えていたりする。それについて私たちの先祖が伝承文学や大和絵など無数に描いてきた。つまり、神と鬼とは栖処(すみか)が一緒なのである。・・・(まえがき)

 

タイトルに惹かれました。

一般的にイメージする「鬼」は、我々に危害を加える存在で悪者。

鬼門~鬼の居ぬ間に~鬼の首を取ったよう~のように方角や諺があります。

子どもの遊びでは「鬼」を決めることがある。

 

では「鬼」は、何故?我々に危害を加えるのか?嫌な存在なのか?。

あくまでも推測・想像だが「鬼」が生まれた歴史と意味がわかりました。

タイトル通り?なのかも。

 

・・・人類は、歴史の中で数限りない思想や哲学を生み出してきた。その世界観・宇宙観はまことにバラエティに富んでいて、皮肉を込めて言わせてもらえば「選り取り見取り」である。

しかしそのうちのどれ一つとして、すべての人類の心をとらえることはできなかった。これぞ決定版と言える世界観、しかも誰もが認める世界観が未だに人類の手にはもたらされていないことは、普通に知性ある人間であれば承知しているだろう。これが人類の未熟さの証しなのか、それともその程度の生物にすぎないゆえなのか、私たちにはまだ答えは出せていない。

ただ、その中にあっても、多くの「真理」が見出されていることも事実である。陰陽五行による天地の解釈は「偶然の一致」を遥かに上回るものであることは誰にも否定できないだろう。ここまで整合する論理体系は、それだけで真理に限りなく近いと理解してもよいのではないかと私は考えている。

西洋の黄金比フィボナッチの数列に対して、東洋の陰陽五行も、世界・宇宙を解き明かす有力な「原理」の一つであろうと思う。

だからこそ、全否定するのではなく、しかしまた全肯定するのでもなく、混在する体系に線引きをおこない、迷信と真実を峻別するべきであるだろう。これは「人類の知恵」であり、さしずめ「神々の叡慮」でもあるのだろう。・・・(P.129)

 

「現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は15%程度」(国立遺伝学研究所 2018年)だそうです。

人・文化~いろんなモノを受け入れて包含し、醸成して来たのが、現代「日本」なのですねぇ。

 

民俗学~面白いです。