「ノラや」 内田百閒

・・・ふとした縁で家で育てながら、ある日庭の繁みから消えてしまった野良猫の子ノラ。ついで居つきながらも病死した迷い猫のクルツ―   愛猫さがしに英文広告まで作り、「ノラやお前はどこへ行ってしまったのか」と涙塞(せ)き敢(あ)えず、垂死の猫に毎日来診を乞い、一喜一憂する老百閒先生の、あわれにもおかしく、情愛と機知とに満ちた愉快な連作14篇。・・・(本書カバー)

 

百間とも百聞とも書かれることがある百閒(ひゃっけん)先生の猫エッセイ。(門構えに月)

ついでに、本書カバーの猫はノラの模様とは違う・・・。

 

ノラが見つかる・・・と思っていたら何時までたっても見つからずに、チョッと飽きてしまった・・・。(見つからず終いです。)

続いて居ついたノラに似たクルツも、手厚い看護を受けるが・・・。

 

かなり以前に飼っていた猫たちを思い出しながら、猫アルアルに微笑んでいました。

 

・・・それが今度、憐れな野良猫の子ノラが帰つて来なくなつてから、実に深刻に猫の可愛さを知つた。・・・(P.264)

・・・ただ一つの心遣りは、帰つて来なくなつたノラと違つて、してやり度いだけの事はみんなしてやつた。クルがしたがつた事はみなさせてやつた。・・・(P.267)

・・・人人その好むところに従つて、いろいろの飼ひ方があるだらう。私はたつた一匹づつの猫でこんなにひどい目に遭ふ。さうしてその後を引いていつ迄も忘れられない。猫は人を悲しませるために人生に割り込んでゐるのかと思ふ。・・・(P.277)

・・・人間の幽霊は、その幽霊を見る人の為に出ると考へていいだらう。況やクルは幽霊ではない。クルはいつも私共の心の中に安住してゐる。・・・(P.283)

 

夏目漱石門下の作家先生だけに、猫愛の表現は素晴らしいと思ひます。

 

ふと~、ノラやクルツのことを思い出し、涙する百閒先生は愛猫家の鏡。

ノラとクルツは本当に幸せだ。