「ヤン・フスの宗教改革」中世の終わりと近代の始まり  佐藤 優

・・・危機の時代には革新的な思想が誕生する。ルターカルヴァンに先んじ社会と教会が一体化した中世に教会の権威を否定し、近代的な民族国家(ネイション)誕生の契機となった15世紀チェコのヤン・フスの宗教改革。人を、時代を動かした思想はどう生まれたのか。危機の時代のいまこそ学ぶべき宗教改革の真髄を明らかにする。・・・(本書カバー)

 

佐藤優本に、その名前が度々出てくる、チェコの神学者・フロマートカの原点がフスの宗教改革だった!。

名前しか知らなかったフロマートカ、その教えは・・・やはり難解・・・。

しかし、宗教改革とコロナ禍がどう結び付くのだろう?。

 

・・・キリスト教は素のままの人間を肯定しません。人間には原罪があり、原罪から必ず悪が生まれるからです。しかも人間は生まれてから、どんどん罪を犯していく。神父であるとか牧師であるとか、学校の先生で人格者と思われているほど、そういった闇を抱えている場合があります。その闇は肥大化すると、人格化して悪魔になります。悪魔になる危険性を、人間はみんな持っているのです。・・・(P.159)

 

わかっている?よくあるゴシップ~とは思っていたが、「闇」「悪魔」とズバリ書かれると、ドキリ!とします。

 

・・・(前略)法律や条例が存在しなくても、国や都道府県が自粛を呼びかければ、法律や条例に相当する効果がこの国では期待できるからだ。行政府が国民の同調圧力を利用するのだ。これは、翼賛の思想だ。翼賛の本来の意味は、<力を添えて助けること。天子の政治を補佐すること>(『デジタル大辞典』)だ。翼賛は強制ではないという建前だ。人々が自発的に天子(皇帝や天皇)を支持し、行動することが期待される。期待に応えない者は「非国民」として社会から排除される。新型コロナウイルス対策の過程で無意識のうちに翼賛という手法が強まっている。確かに行政府による自粛要請は必要だ。しかし、その過程で無意識のうちに行政府が司法と立法府に対して優位になる可能性がある。それは国家による国民の監視と統制の強化に直結する。5月25日に緊急事態宣言は解除された。しかし、行政権の優位、「自粛警察」に見られるような翼賛の傾向は今後も続く。この種の危険を過小評価してはならない。こういう現実に気付くためにも、本書で展開されている神学的思考が必要になる。それによって目には見えないけれども確実に存在する事柄を察知することができるようになる。・・・(P.186~187)

 

抜粋が長くなってしまったが、注意すべきは、フロマートカの時代はソ連共産主義、そして現在は翼賛思想なのか。

危機の時代は自国ファーストへ向かう・・・。

国家と対峙?する佐藤優考。

難解ながらエッセンスだけでも。