「幕末気分」 野口武彦

・・・「幕末」は、テロや不況、災害に見舞われた幕府の末期である。歴史が激動する転換点に、江戸から長州征伐で出張した同心は大坂で遊興し、元農民の歩兵は吉原で暴れる。この危機感の欠如といい加減さは現代に酷似し、身近にすら感じられる。・・・(本書カバー)

 

歴史教科には載らない、旧幕府側の実態(?)を、江戸幕府の末期~明治初年辺りまで描く本書。

読みながら上記の通り!と思ふ。

 

日本人は、当時から行儀いい人ばかりではありません。

 

・・・今はみんな忘れているだろうが、神戸の地震当時、日本の総理大臣は社会党(!)だった。村山富市首相が現地視察にやってきたのはよいが、避難所の人々から無視されて、困惑しきった顔をしていた。誰一人これを吊るし上げる民衆はいなかった。そのかわりオバサンたちが「首相はいらん、水をくれ」といったテレビの一場面は千古不滅であろう。

村山首相が悪人なのではない。むしろ無類の善人だった。しかし選りに選ってこの時期にこういう人が内閣首班だった偶然には、何か歴史のいたずらのようなものが作用していたとしか思えない。首相はひどく孤独に見えた。これが始まりだった。それ以来、歴代首相に誰がなろうと、役と役者の寸法が合わないように感じられる。出来の悪いアテレコのように、シ―リアスな場面とセリフの口の動きがずれて、どうしようもなく漫画的に場違いな政局が普通になってしまった。・・・(はしがき)

 

10年前に発災した東日本大震災と伴う原発事故の際も、同様だったのでは・・・。

さらには、現在進行中のコロナ禍においても、首相側(政府・行政)と医療・経済活動の現場との乖離が混乱に拍車をかけているように見えます。

 

本書で描かれた徳川慶喜は「鳥羽伏見の戦い」の最中に、大坂城をこっそり抜けて大坂湾上の開陽丸で江戸に戻った~この幕府指揮官の責任放棄ともとれる行動は、大混乱下では何でもありなのか?と思ってしまう(事実は諸説あるようだが~)。

まさか、現代でも起こりうること?は、無いとは思うが(思いたい)・・・いつの時代も予想もつかないことは起こるのだなぁ。

 

時代の大変換点~世間が混乱するから時代が変わるのか、時代が変わるから世間が混乱するのか?。

現在もそうなっています。