「ノモンハンの夏」半藤一利

・・・参謀本部作戦課、そして関東軍作戦課。このエリート集団が己を見失ったとき、満蒙国境での悲劇が始まった。・・・(本書カバー)

 

ノモンハン事件は、1939年5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。1930年代に、満州国を実質的に支配していた日本と、満州国と国境を接し、モンゴルを衛星国としたソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争のひとつ。(ウイキペディア)

 

事件・・・と命名されているが、日本とソ連の国境線を巡る事実上の戦争。

しかし、宣戦布告があったわけではないうえに、当時の大元帥とされる昭和天皇は戦線拡大には反対していた。

第一線で戦った第二十三師団の出動人員15,975人中の戦死傷病は12,230人、実に76%に達したという。

 

・・・ちなみに日露戦争の遼陽会戦の死傷率17%、奉天会戦が28%、太平洋戦争中もっとも悲惨といわれるガダルカナル会戦の死傷率が34%。この草原での戦闘の過酷さがこれによっても偲ばれる。・・・(P.442)

 

情報収集をしていたのにソ連軍を過小評価、自軍を過大評価。

投入戦力も兵站も非力・不十分なのに、現場の独断専行結果の惨事。

それなのに、十分な検証と反省もせずに太平洋戦争へとひた走る・・・そして終戦。

・・・「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」ジューコフ ソ連軍 軍団長・・・

 

鉱物資源があるわけではなく、戦略上重要な場所でもない草原での悲劇・・・読んでいてやるせなくなります。

当時、国内で最優秀集団だった陸軍上層部は、立ち止まって冷静に考えることが出来なかったのか?。

 

現代は大丈夫ですね?。

コロナ禍を徐々に溶かして明るい春(弥生3月)を迎えられるように。