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月別アーカイブ: 2021年5月

まん延防止等重点措置

石川県「まん延防止等重点措置」5月16日~6月13日・・・。

またしても、会食機会が遠のいてしまった。

特に金沢市内は終日~飲食店での酒類提供が~✕・・・。

飲食店やその関連業種の方々の落胆は、いかばかりかと~思います。

農業・漁業・酒造業~観光をはじめとする地域経済に与える影響は過大なり。

措置解除になったとしても、従来通りの需要に回復するには、時間がかかるかと思われます。

自分が出来ることをやっていくしかない。


除草作業

気になっていた除草作業実施。

草が伸びきってからだと、作業時間も長くなります。

ということで、まだ短いうちに~。

2サイクルエンジン式(1:25の混合油)の草刈り(刈払い)機を使用しました。

昨年も使いましたが、根元から刈ろうとすると、草が草刈り刃に絡みつきます。

草が長い場合は上から、機械を左右に振ってなぎ払うようにすると、草が絡まずスムーズにできる。

簡単なことだけど、時間が経つと忘れています。

画像の場所は草が短かったこともあり、1時間弱で終了。

先に行った場所は草の育ちがヨカッタので、1時間半ほど・・・。

2ヵ月以内くらいには、再びやらなければいけないな・・・。(^_^;)


ツシマヤマネコ

日経紙連載「日本史のネコ」十選(10)

斎藤月岑日記」嘉永四年十月二十一日条

・・・幕末の江戸、両国橋のたもとで生きている虎が見世物となった。見物してきた町名主で地誌編者の斎藤月岑(さいとうげっしん)は、日記の余白にその動物を描き、口上や看板を踏まえた観察を書き添えている。・・・

豊後(大分県)で生け捕り。

小犬の大きさで尾が太く、太っている。

薄鼠色に茶の斑。

生餌を食べる。

鳴き声が聞こえないように拍子木でごまかしていた?。

「虎にあらず猫の一種なり」(月岑)

記事ではツシマヤマネコかも~とあります。

よく特徴を描いていると思います。

本物の虎もそうだが、両者とも絶滅危惧種。

 

・・・「日本史のネコ」十選も(10)まで辿れました。

ネコを通じて日本史の一面を知ることができた?と思います。

ペットとして、益獣として、そして信仰対象として昔から大事にされていて良かった。


マスクは踊る

「マスクは踊る」東海林さだお

・・・マスクをしていると口は見えない。ということは、口のほうはどうにでもなるということになる。ということは、会社で上役に叱られている場合、目には恭順の意を精一杯込めているが、マスクの陰で「このバーカ」と笑っていてもいいことになる。・・・(本書帯)

 

マスク~のタイトルはついていますが、2年前~「令和」が始動したあたりからの世相を鋭く、そして優しく?見つめるショージワールドです。

 

・・・日本は「ズルの時代」に突入した。

日本はいまズルまっ盛り。

いまの日本人は「うまく立ち回る」ことばかり考えるようになっている。

かつての日本は「恥の文化の国」と言われていた。

行動の基準を恥に置いている国であると。

恥だけはかきたくない、みんなそういう思いで生きてきた。

恥をかくぐらいなら腹かっ切って死ぬ、という人さえいた。・・・

 

「ズルの時代」”恥„がなくなった~の章は、いろんな謝罪会見や言い訳?を見聞きする機会が多くなった現代社会への痛烈な批判にあふれている。

「令和の”チン„疑惑」電子レンジと安倍内閣~もツ―レツなショージ流批判ですね。

 

本書表紙帯にある「恥ずかしい部分、隠してますよね。」~は、マスクやいろんな手段を講じて?感染源?危険部位?や、見られたくない部分を覆っている行動と、それがまかり通る時代を「会議は踊る」をもじって皮肉っているのだなぁー。


金雲たなびく洛中

日経紙連載「日本史のネコ」十選(9)

岩佐又兵衛「豊国祭礼図屛風」

・・・慶長9年(1604年)の豊臣秀吉七回忌の祭典を、比類ない濃密さで熱狂的に描く屛風である。(中略)京都の町々からは、5組各100人の風流踊が出た。阿波踊り、よさこいの類である。下京の丑寅組は、仮装の「一つ物」として黒牛に乗る眼鏡男を立て、丸く座った猫を描いた大団扇をかざす。・・・

 

画像の右下辺りの傘が開いたとなりにネコ団扇が見えます。

ネットで拡大画像を探した見当たらず~そういえば「奇想の系譜」図録に岩佐又兵衛が載っていたハズ!。

早速、開いてみると「豊国祭礼図屛風」は載っていたが、残念ながら画像が小さかった・・・。

 

似た感じ?の「洛中洛外図屛風」は部分的な拡大画が載っていたので眺めてみます。

画面一面に金雲がたなびく中に緻密に描かれた人物をジッと眺めていると、絵に引き込まれていく感じが・・・。

当時の京の賑わいや風俗が興味深い。

犬を連れた人物はあるが、猫は見当たらないのは、座敷ネコが一般的だったからでしょうか。

 

「奇想の系譜」図録大活躍です。


直営店の思い出

致し方ないのだが、石川緊急事態宣言発出のため、市内飲食店への時短営業要請が5月末日まで延長~しかも営業時間が午後8時まで・・・。

ましてや、アルコール類の提供が午後7時までということは、ディナー営業はするな!ってことかと思われ~。

飲食店の方々(他の集客施設も・・・)の無念さは、いかばかりかと・・・。

 

午後8時まで営業の飲食店ということで、旧商業施設内で直営していた「めん処あかさか」のことを思い出します。

午前11時~午後2時辺りまでのランチ営業主体。

優秀なパートさん達のおかげで、ハイレベルな内容の食事を提供出来ていたと思います。

記憶に残る味。

客単価800円くらいで、目標月商100万円だったが、なかなかハードル高かった記憶があります。

直営だったために賃料・共益費に相当する費用は発生せず、人件費・水光熱費・原材料費・テナント会関係費を払えば、収支トントン~タマにマイナス・・・。

幸いにも居抜き設備を使用できたのと、館内の飲食店を維持できたことが良かった。

 

・・・飲食店営業は、平時でも大変でした。

加えて、たび重なる非常事態と時短要請に市内飲食店は、かなり疲弊しているかと思います。

時期が来れば~できる限りの応援をしたい。


牡丹花下睡猫児

日経紙連載「日本史のネコ」十選(8)

蔵三「牡丹猫図」

・・・牡丹の花咲く下で、何かの気配に動きを止め、見上げた一瞬であろうか。視線の先には蝶がのどかに舞う。(中略)牡丹・蝶・猫という組み合わせは、中国の吉祥図様に由来する。猫は耄(ぼう)=70歳、蝶は耋(てつ)=80歳と音が通じ(中国語で)、長寿を願うもので、牡丹は富貴の象徴である。・・・

 

おめでたいネコ図。

毛のフワフワ質感も感じられます。

 

また「牡丹花下睡猫児」という禅公案にも通じているという。

寝ている子猫に近づこうとしたら逃げてしまった~猫は寝ていたのか?起きていたのか?。

寝ているように見えても、猫の心は蝶をみていた・・・達人の極意。

有名な「眠り猫」もこのモチーフだそうです。

 

こんな含意があるとは・・・フワフワ・モフモフしか見ていないことがハズカシイ。


チャトラン

日経紙連載「日本史のネコ」十選(7)

「足利将軍若宮八幡宮参詣絵巻」

・・・源頼義が邸内に八幡神を勧請したことに由来する若宮八幡宮は足利将軍の崇敬も篤かった。その参拝の様子を描いた絵巻は、六条左女牛八幡宮などと呼ばれた往時の境内を知る絵画史料でもある。

築地塀で囲まれた一郭には「公文所」と注記され、現地で運営実務が行われた建物だろう。その縁側で扇(中啓)を持った子ども(稚児)が、猫をあやしながら近づこうとしている。・・・

画像のネコは赤い首輪と紐で柱に結ばれています。

ここにも大事な大事な、おネコ様がいる。

コミカルな人物(稚児?)と相まっておネコ様の愛らしさを引き立てているようにも見えます。

しかし~仕事場(公文所)にいるネコの存在意味はなんだろうか?ネズミ退治?純粋にペット?茶トラのチャトラン。

それにしても、楽しそうな?絵巻です。


大本営が震えた日

「大本営が震えた日」吉村 昭

・・・開戦直前の昭和16年12月1日午後5時すぎ、大本営はDC3型旅客機「上海号」が行方不明になったとの報告を受けて、大恐慌に陥った。機内には12月8日開戦を指令した極秘命令書が積まれており、空路から判断して敵地中国に不時着した可能性が強い。もし、命令書が敵軍に渡れば、国運を賭した一大奇襲作戦が水泡に帰する。・・・(本書カバー)

 

久しぶりの吉村昭作品~手に汗握るノンフィクション。

特に前半の「上海号」遭難を巡る捜索と、遭難機から辛くも脱出できた杉坂陸軍中佐・宮原陸軍中尉・久野陸軍曹長の逃避行は、ド派手なアクション映画さながらのシーンの連続です。

同時に機密書類を滅失せんとして「上海号」が不時着した周辺を爆撃する日本軍の非情さ・・・敵地ゆえに致し方無いのだが・・・。

 

そもそも「上海号」遭難以前に、12月8日の開戦と同時に始まるハワイ真珠湾攻撃やマレー上陸作戦は、奇襲が前提であり、軍隊行動情報はひたすら隠密で、いつ露見するかわからないギリギリの状態だった。

軍事作戦という大きな行動は、細部にまで行動予定が決められていて、一旦動き出したら引き返しや中止が難しい。

特に本書で描かれるのは、史上最大の極秘作戦。

決めた以上は、何としても実行しなければならない~その生々しいまでの記録です。

 

・・・「大本営陸海軍部発表 帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」

庶民の驚きは、大きかった。かれらは、だれ一人として戦争発生を知らなかった。知っていたのは、極くかぎられたわずかな作戦関係担当の高級軍人だけであった。

陸海軍人二三〇万、一般人八〇万のおびただしい死者をのみこんだ恐るべき太平洋戦争は、こんな風にしてはじまった。しかも、それは庶民の知らぬうちにひそかに企画され、そして発生したのだ。・・・(P.396)

 

現代は、有象無象の情報が溢れる時代だが~本当に大事な、必要な情報は、知ることが出来る状態でしょうか?。


香箱座り

日経紙連載「日本史のネコ」十選(6)

蓮唐草螺鈿礼盤

・・・礼盤は仏前で僧侶が座す台で、大きさは畳半畳ほど、上には畳や敷物が置かれた。この礼盤は、鎌倉時代初め頃の作で、黒漆に螺鈿で蓮華唐草を表し、毛彫した金物を打つ華やかなものである。・・・

 

その礼盤の反り返った脚を「猫足」というようです。

ジッと見ていると、ネコの手足のようにも見えてくる。

仏前の台の脚が「猫足」~ということは、ネコは特別な生き物とされていたのでしょう。

おネコ様が、敷物が置かれた礼盤で香箱座りしていることが多かったから?猫足。

仏前に香箱(お香の入れ物)は付き物だった。


丸いネコ

日経紙連載「日本史のネコ」十選(5)

高階隆兼「春日権現験記絵」巻六第三段

・・・奈良・春日大社の霊験譚を集めた絵巻の一段。神社の境内に般若心経を咥えた蛇が現れ、いじめた少年が重病になる。大般若経の転読をすれば治ると神の託宣があり、それに従うと平癒したという。。母と祖母らしき女性が看病し、枕元には切られた瓜、隣に民間祈禱者である巫女と山伏を招き入れ、板敷には猫が丸まっている。・・・

 

わかりにくいので矢印で差したのが猫です(たしかによく見ないとわからない丸い存在)。

周囲の騒ぎをヨソに「我関せず」・・・といった態に見える。

 

現在の春日大社はタケミカヅチ・フツヌシノカミ・アメノコヤネノミコト・ヒメガミの四神を祀るが、以前は神仏習合し春日大明神(春日権現)を祀っていた。

何でも神様にしてしまう?心の広さをそなえていた平安期の日本社会。

祈れば?お経を唱えれば?コロナ禍も仏法の威徳で払える?。

心の狭い?現代日本では無理か・・・。

せめて、この猫のように、ま~るくなれればいいのかも。


利休の死

「利休の死」戦国時代小説集 井上 靖

・・・天正十年(一五八二)、武田が滅び、信長は本能寺で倒れ、それに代わった光秀が討たれ、天下は秀吉の手中へと動き出すー。桶狭間の戦い(一五六〇)から天目山の戦い、利休の死(九一)までの戦国乱世三十年を十一篇の短篇で描く。・・・(本書カバー)

 

近年に発見された史実に基づく、新たな解釈の信長・秀吉・光秀像ではない、テッパンの正統派(?)戦国時代小説でした。

十一篇中「篝火」「天正十年元旦」「天目山の雲」「信松尼記」の四篇は、武田氏にまつわる内容であり、勝頼の暗愚さ?を協調しているようにも見えます。

天目山の戦いで武田氏は滅亡してしまうが・・・勝頼は決して暗愚ではなく勇猛果敢な武将だった。

ただ、どうしても信玄と比較されてしまうことに焦りが・・・。

本書自体がタイトルどおり、栄枯盛衰~滅びの美学??に満ちていることもあり、題材となりやすかったのかもしれません。

 

戦国乱世~わずか30年の間に歴史が大きく変動しています。

現在もコロナ禍という激動の中にある。


繋がれた猫

日経紙連載「日本史のネコ」十選(4)

「白描源氏物語絵巻貼交屛風」若菜上

・・・昨今、「かつて猫は繋いで飼っていた」ことは雑学知識となった。分かりやすい一例が「源氏物語」若菜上で、16世紀以降に繰り返し絵画化された場面である。

光源氏の六条院で若い公達らが蹴鞠に興じていたところ、猫に付けた綱が御簾をまくり上げ、女三の宮の姿を見てしまった柏木が恋慕の情を抱く。・・・

 

小説伊勢物語 業平」つながりで入手した、源氏物語関連の積読本があったので、照らし合わせて端折り読みします。

やはり、いろんな意味を込めて~「みやび」な世界・・・(^_^;)。

女三の宮が飼っていた猫を柏木が手に入れるようですが、どういう扱いをされたかどうか心配になります。

猫と同様に女三の宮も、いろんな存在に繋がれていたのだが。


連休最中に

気がついたら5連休の中日でした。

GWの連休を意識しなくなって4年目の日々です。

・・・とは言っても、誰しもに平等に訪れるGW~要は過ごし方だけなのでした。

長年しみついた?習慣で、一日一回は会社の机に向かわないと不安になります(特に何もないのだけれど・・・)。

長時間勤務が苦にならない~昭和世代。

時代背景から外れていることは~ワカッチャいるけどやめられない?煩悩具足の凡夫。

リアル、スーダラ節は永遠に。


御猫

日経紙連載「日本史のネコ」十選(3)

土佐光文「猫障子」

京都御所内 天皇の生活空間でもある清涼殿 朝餉の間(あさがれい)襖絵。

この姿は衝立だが「猫障子」だそうです。

帝はネコを眺めながら生活されていた?。

実際にネコがいたのかも?。

でも、ネコは柱や襖で爪とぎします。

もし、帝の側にネコがいたならば・・・ネコを怒ることはハバカラレタでしょうし、ネコのなすがまま。

おネコ様(御猫)。

困り果てて~やがて、襖絵として存在することになった?・・・と勝手に想像します。


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