経理から見た日本陸軍  本間正人

・・・関特演予算は現在価値8兆5000億円 軍刀20万円 三八式歩兵銃45万円 米軍が驚いた洞窟内の衣服修理工場 中将の年収は戦時で7800万円!・・・(本書帯)

 

軍隊を兵器や人員規模で見るとカッコイイなー、強そうだなーの感想になります。

でも本書を読むと、軍隊スペックの胆は、裏方扱いだが経理と予算にあった!ということが良く分かる。

 

・・・日中戦争さなか、昭和12年9月に公布された「臨時軍事費特別会計法」は、一般会計とは異なり、戦争の勃発から終結までを一会計年度として、不足分は追加予算で補われる。毎年決まった時期に議会に提出する予算案のようにあれこれ論難され、時として否決されることから免れるわけで、現に戦争を指導している政府・軍部にとっては便利このうえない制度だった。・・・(P.36)

 

これに加え、同時に公布された「支那事変に関する臨時軍事費支弁の為公債発行に関する法律」で、日銀が軍事費捻出のために国債を引受けるようになり、天井知らずとなった軍事費予算は、昭和20年2月の追加予算までの累計で2219億2500万円(現在価値:約1109兆6250億円)!という天文学的数字にまでなったという・・・。

調べたところ、昭和15年時の日本のGDPは368億円だそうです。

本書の資料によると昭和17年2月には394億1950万円!もの公債が発行されているが、その1年以内には既に累計で900億円もの公債が・・・。

太平洋戦争序盤で、我が国は軍事面攻勢の時期だったが、内情は火の車・・・この公債の後始末はどうする計画だったのでしょうか。(勝ち続ければ何とかなる?。)

・・・なんか、現在も同様?どうなんだろう。

 

当時の日本の工業力は・・・そもそも部品の標準化という概念が希薄で、微妙な寸法の差が激しかった。特に叩いて形を成型する鍛造品は個体差が大きく、「芋鍛造」と呼ばれていたほどだ。そういった部品を製品に取り付けようとするのだから、すんなりとはまることは極めてまれである。そのため熟練工が部品を万力で固定し、やすりで削って部品のすり合わせをして、職人技で組み合わせるのが普通であった。(中略)だから、部品の互換性は全くないといって良く、万事がこのような状態であるから、生産量のアップや生産力の拡充も一筋縄ではいかなかったのである。・・・(P.55)

 

事実なら読んでいて、悲しくなります。

せっかく多額の(多額過ぎる!)予算があったのに、製造現場は・・・職人技(個人の技量)だけで保たれていたのか。

 

兵士・将校の給料や戦地手当や、糧食事情~満州での日本酒製造も興味深かったです。

当たり前ながら、日本陸軍も官庁であり、予算がないと兵器はモチロン食料も衣服も給料も何も用意できない。

戦時中でも(一応)調達先への支払いがあったようです。

 

読み終えて軍事力=経済力であること、お金が無いと軍隊は行動出来ないこと・・・そして、組織の大小に関わらず経理の重要性を再認識しました。

そして本書では書かれていなかったが、当時の日本には海軍もあったことも・・・。(;゚Д゚)