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月別アーカイブ: 2021年9月

我行かん

「易経」一日一言 9月15日 我行かん

独立して懼(おそ)れず、世を遯(のが)れて悶(うれ)うることなし。(沢風大過)

・・・沢風大過(たくふうたいか)は、国や組織が倒れかかり、危急存亡に瀕した時の行動を教える卦。危急の時、リーダーは自分の力量を超え、過ぎた行いをしなければ、危機からは逃れられない。周りや世間がどんなに非難しても、苦悶せず、良しとした志を懼れず流されずに貫き通すことである。大変な非常時には逃げるのではなく、「我行かん」と勇気を持って進んで行かなければならないと教えている。・・・

 

気が引き締まる「我行かん」です。

「志」を貫き通すこと・・・言葉では言えるが、行動するのはマサに「我行かん」が必要かと。

理念やBCP(事業継続計画)含め~日頃からの備えが大事ということか(いいがになっとる?)。

 

危急存亡の秋(ききゅうそんぼうのとき)。

秋だからのんびりと~というワケにも行かない時もある。


ナヴァグンジャラ

日経紙連載「境界のクリーチャー十選」(8)

ナヴァグンジャラ

・・・人類史的に見ると、人魚のように「あり得る」要素と「あり得ない」要素の組み合わせが比較的単純な合成獣の方が、広く、長く伝わってきた。認知人類学ではこれをMCI(Minimal counterーintuitiveness=最小反直観性)なぞと呼ぶらしい。人間が神、精霊、妖怪といった超常的な存在の姿を伝えようとするとき、脳にデフォルト(初期設定~白紙状態)で配線されている直感的な自然理解の前提の上に、反直感的で想像力を刺激する突出した特徴がほどよくのっている表象の方が、伝播力があり、生き残るのだという。・・・

 

ナヴァグンジャラってナンジャラ?。

鶏の頭、クジャクの首、ライオンの胴、雄牛のこぶ、象・虎・鹿の脚、人間の手、蛇の尾~9種類(ナヴァ)生物の属性(グン)の合成(ジャラ)だそうです。

聖獣・猛獣・邪悪な存在?の突拍子もない組み合わせ。

これはインドの不思議な獣だが、日本にも鵺(ぬえ)なる存在がありますが、コチラは怪しいバケモノ扱い。

ナヴァグンジャラは、分類不能で人の理解を超えた存在であり、ヴィシュヌ神の化身ということのようです。

 

神(のような存在)を形にしようとすると、人知を超えた存在になるのかな。

人が想像できるの神(のような存在)の姿は~存在しないということか?。

神=無?  ナンジャコリャ。


再々延長

本来ならば?9月12日で解除されるはずだった「まん延防止等重点措置」が9月30日まで再々延長・・・。

本日(13日)から、通常?に近い生活が戻ってくるかと思っていたが。

飲酒を伴う外食機会が再び遠のいてしまった。

 

仕事終了後~帰宅~風呂~メシ~寝る~の繰り返し。

2ヶ月近く自宅待機していると、ライフスタイルが固定化しています。

政府推奨の健全?ライフスタイルには、特に不満はないが・・・やはり物足りなさを感じます。

今が健康・健全だから言えることなのですが~。

 

もう少しの我慢・・・。


ペドロ・リナーレス「アレブリヘ」

日経紙連載「境界のクリーチャー十選」(7)

ペドロ・リナーレス「アレブリヘ」

・・・メキシコシティ生まれのペドロ・リナーレス(1906年~92年)は、(中略)30歳の頃、熱病にかかり、生死の境で不思議な夢を見た。森の中に異形の幻獣たちが現れ、口々に「アレブリヘ、アレブリヘ・・・」と意味不明な言葉を唱えていたという。快復後もこの百鬼夜行の残像が頭を離れず、ペドロは手慣れた張子細工で形を与えた。こうして、鶏のとさか、コウモリの羽根、爬虫類の体、牛の角、深海魚の顔、蛇の下などが組み合わさった、極彩色のクリーチャーたちが生まれ、アレブリヘと呼ばれるようになった。・・・

 

アニメーションのキャラクターを立体化したようなクリーチャー。

頭部の大きさ手足や胴体の細さは、生物としては成り立たない体のバランスです。

でも、夢の中に現れるのだから何でもあり(クリーチャー自体が自然と生物的にあり得ない~)。

 

・・・メキシコは16世紀にスペイン人の支配を受けて19世紀に独立~経済力を付けてきました。

その後1980年代の経済危機を経て一時復活するも、コロナ禍で再び苦境下にあります。

 

メキシコを代表する民衆芸術のジャンルにまでなった「アレブリヘ」。

再び、良い夢の中に現れますように。


つるつる美味い

久しぶりの訪問~野々市のラーメン店「一鶴」さん。

おそらくコロナ禍になって~初かもしれない。

空いています・・・お店としてはヨロシクないが、お客としては・・・ウレシイ (^_^;)。

スタンダードな一鶴ラーメンにトッピング全部乗せをオーダー。

奇をてらい過ぎて、迷走している?ラーメンもある中、細麺・しょう油ベースのシンプルさが好きです。

ほろほろと崩れていくチャーシューが美味しい。

しっかり、味がしみ込んだ煮卵が美味しい。

つつましく?ねぎの下から現れる、味付けメンマに好感もてます。

海苔は~普通ですね。(^_^;)

 

久しぶりの対面は、期待した通りで良かったです。

美味しゅうございました。


間違いや失敗・・・

ドラッカー365の金言~9月10日 仕事ぶりの定義

~仕事ぶりとは百発百中のことではない。百発百中はサーカスの話である。~

・・・組織が健全であるためには、水準の高い仕事が必要である。目標管理が必要とされ、仕事本位であることが必要とされるのも、仕事のい水準を高める必要があるからである。優れた仕事ぶりとは、長期にわたり、仕事において成果を生んでいくことである。当然そこには間違いが含まれる。失敗も含まれる。強味だけでなく弱みも明らかになる。間違いや失敗をしたことのない者だけは信用してはならない。そのような者は、無難なこと、安全なこと、つまらないことにしか手をつけない。人は優れているほど多くの間違いをおかす。優れているほど新しいことを行うからである。・・・「マネジメント 課題、責任、実践」

 

失敗~間違いだらけの自分です。

積極的な失敗もあったかもしれないが、何もしなかったが故に失敗となったことも数多い・・・。

 

三振アウトも、見送りなんかしないで~とにかく振り切るのです。

先ずはやってみる、動いてみる。

失敗したら~間違っていたら、やり直す~トライ&エラーの繰り返し。

一回で上手くいくハズがないのでした。

以前の経験があるから~ということもあるが、それでも失敗はありますね。

事態は刻々と変化しています。

 

先ずはやってみる。


虎卣

日経紙連載「境界のクリーチャー十選」(6)

虎卣(こゆう)

・・・卣(ゆう)とは、釣手と蓋のある壺の呼称で、祭祀用の液体容れとされる。(中略)後足で直立し、耳をぴんと立て、目を見開き、牙をむいた虎。その頭には、蓋のつまみを兼ねる鹿がちょこんと立つ。釣手の付け根には獏の頭、器を支える3本目の足は龍の尾と思いきや、後ろから見ると象の鼻をした饕餮(とうてつ)という怪物が現れる。体の表面には所狭しと龍、蛇、虎、魚などの獣文も蠢(うごめ)いている。そして、山河の獣たちの要素が凝結したこの虎の前脚に抱えられるように、案外呑気な顔をした人がしがみついている。・・・

 

紀元前11世紀ごろの古代中国の青銅器。

ユーモラスな感じもするが、人が虎に捕らわれ嚙みつかれる直前にも見えます。

祭器だけにどのような意味があるのか・・・恐ろしい意味があるのかも~。

 

本連載最初の「ライオンマン」でも思ったが、古代人の想像力と造形を表現する能力は凄い!と思う。

現代にも認められる存在だから、現存し評価されています。

素材的にも1,000年単位で存続できるモノ。

・・・現代技術の粋を凝らして出来上がったモノで、1,000年以上の長期間存続に耐えられる存在はどれだけあるだろうか?。

ゴミ・・・汚染物質として残っているかも。


○○に背中を見せる

駐車場でのタバコ吸い殻ポイ捨てが気になってしょうがない・・・と以前から書いています。

先日、ポイ捨て常習と思われるクルマが停まっていました。

案の定~運転席側の路面には吸い殻が溜まっている。

しばらく経ってから見てみると、そのクルマが10メートルばかり移動しています。

(駐車場内をちょこまか移動して・・・よくわからないが、当人なりの意味があるのだろうな・・・。)

そこで、ゴミ袋と火ばさみを持って従前の場所に向かい、溜まっているタバコ吸い殻を片付けました。

背中を見せる(教育的な意味で)~おそらくこの光景は、該当のクルマからも見えるでしょう。

 

・・・翌日、最後に該当クルマが停まっていた辺りには、タバコ吸い殻が放置されていたので再び片付けます。

今まで、土日を除く毎日出没していたから今日も現れるだろうな・・・と思っていたら、該当クルマを見かけなかった。

 

もしかして、片付ける姿を見せつけたために反省したか?それとも、たまたま来なかっただけか?。

ダメダメ野郎の居場所を奪ってしまったかなー(でも、逆恨みしないでね)。

 

しばらく観察します。


ワシの精霊

日経紙連載「境界のクリーチャー十選」(5)

ワシの精霊

・・・鳥と人の属性を併せ持った鳥人は、重力に抗って空を飛ぶことができる、憧れの存在である。頭が人で体が鳥、翼の生えた人間、あるいは嘴・鉤爪・羽根など部分的には鳥だが体形が人間といった描かれ方が多い。それに対してこの鳥人は、向かって左側が鳥で右側が人間という、珍しい左右非対称の構造になっている。・・・

 

死者の霊魂が動物や植物として生まれ変わると信じる、マレーシアの先住民族が祖先を祀る儀礼で使う「ワシの精霊」像だそうです。

非対称・・・人と他の動物が融合して一体化するのではなく、境目がわかりやすい?マサに境界のクリーチャー。

できる限り祖霊の面影を残したかったのかもしれない。

そもそもクリーチャーなんて見方をしたらイケナイ存在です。

それにしてもシュール。


余計なお世話

先日、ランチで訪れた某飲食店でのこと。

感染予防対策とプライバシー保護(おそらく)のため、客席間が垂れ幕で仕切られています。

幕にはチャンと防燃表示がある素材を使用しているので常識的なお店・・・。

しかし、仕方ないが隣席からの会話がダダ洩れ状態。

常識的なお店で、美味しいランチを~と思ったけど~隣が気になってしまいますねー。

それも大きな声で・・・イヤでも耳に入る会話内容は、アドバイスしている?コンサルなのか。

雇用調整~とか時短~とも聞こえたので、コロナ禍での補助金関連かと思います。

 

そもそも、こんなところで話す内容かな?。

会話の主体人物像を声の大きさやトーン、内容から想像してみる。

うさんくさい・・・の一言。

相方はどういう人物なのか、どういう関係なのかは分らないけど。

騙されないまでも、適切な相談相手では無いような気がする。

 

商工会議所とかの公的機関に相談した方が、いいのではないでしょうか~。

余計なお世話でした。


ブラークに乗るムハンマド

日経紙連載「境界のクリーチャー十選」(4)

・・・預言者ムハンマドが天使ジブリール(ガブリエル)に導かれ、天馬ブラークに乗り、一晩のうちに「聖なるモスク」(メッカ)から「遠隔のモスク」(後にエルサレムと解釈)に移動し、さらに天国地獄巡りをした後に、神の御前に至った・・・。

右側の人間顔の馬(人面有翼)がブラークで乗っているのがムハンマドかと。

画像は地獄めぐり・・・。

 

確か~聖徳太子の伝説にも似たような逸話があったような。

 

・・・聖徳太子が献上された馬にまたがるやいなや、馬は空に駆け上がった。そして太子を乗せた馬は富士山を経て長野県から新潟県、北陸地方を駆け巡り、3日後に舞い戻った。・・・

 

洋の東西を問わず偉人は、超人的な力を持ったり、同じようにそれを持つ存在(クリーチャー)に導かれる。

聖徳太子が乗ったのは天馬だったのかもしれない。


冷や冷やドライブ

所用で、のと里山海道を走行中のことです。

エンジン?変速機?に微妙な振動があるな・・・と思ったら、インパネ内の警告灯が3ヵ所点灯!。

エッ!?~見たこともない表示・・・しばらく走ったものの、停めて様子を見よう~と、間近の出口から一般道へ降りました。

クルマ周囲は問題無し(だと思う)、表示の意味をネットで調べたらエンジンの点火プログラムエラーみたいです。

エンジン再始動で表示が消えることもある~とあったので、試すと表示が消えました。

引き返すことも考えたが、結局は所用を済ませて自宅まで往復することが出来ました・・・。

途中、再び警告が出て~冷や冷やものです。(^_^;)

何となくエンジンが息つくような感じ・・・いつもより更に安全運転&安全速度。

 

無事に帰れたのはラッキーでしかないですね。

今回の件は、適切な判断ではないと思います。

同乗者がいたら、引き返すか、レッカー車レスキュー依頼していたかも。

 

ドック入りした、やがて10年選手の我が愛車です・・・。

電子制御部品が多いと、いきなりトラブル発生することがあるんだな。


人形魚の引札

日経紙連載「境界のクリーチャー十選」(3)  人形魚の引札

・・・両手を曲げ、尾ひれの先が「し」の字に曲がっている人形(ひとがた)の魚の「干物」が江戸時代後期に見世物として出回った。その小さな手の5本指、まばらに残る毛髪、笑っているのだか叫んでいるのだかわからない口から覘く小粒な歯並びを、この絵は忠実にとらえている。・・・

 

引札~見世物のチラシやチケットだそうです。

実は、魚、サル、などの動物の部位と張子細工をつなぎ合わせた偽物人魚のミイラ。

 

・・・それでも人々は、珍獣の「真形」(実物)、ないしその画図を見ると、無病、長寿などのご利益があると信じ、特に疫病が流行るとこうした絵も流布した。・・・

 

コロナ禍でよく見かける「アマビエ」のような存在だったのでしょう。

こちらの方がブキミだが・・・その方がご利益あった?。

かえって気分悪くなりそうですけど。


絶対の善、絶対の悪はない

・・・もし世の中に悪というものがなかったら、世の中というものは成り立つのだろうかということです。悪というものがなかったら、第一、警察は要りまへんな。裁判所も要りまへんな。芝居見ても面白うおまへんわな。だから、悪というものはいかに大事なものであるか。

日本の昔からの言葉に、「泥棒にも三分の理」があるというたでしょう。泥棒でも三分の理があるということは、泥棒を認めているわけです。是認して認しているわけです。

ただ問題は、悪は適数でなければいけない。悪人も善人もありますが、全体の社会にかりに百人の人がおれば、何パーセントが適数であるか。1万人のうち3人であれば健全な社会であるとする。それが5人になったら行きすぎている。3人まで減らさないといかん。悪を征伐しないといかん。3人の悪に戻さないといかん。こういうことやないかと思うんですね。

(中略)世の中というものには、絶対の善や絶対の悪はない。つまり、こういうものは絶対必要である、こういうものは絶対いかん、というものはないんですね。・・・

 

関与いただいている社労士事務所からのお便りに、このような松下幸之助氏のお話がありました。(抜粋)

 

この話で2:8の法則を思い出す。

働きアリの2割はよく働くが、8割はのんびりしているらしい。

その中の、よく働く2割のアリばかり集めても、やがて集団8割はのんびりして来る・・・とも聞いたことがあります。

反対に、のんびりアリで集団を作ってみると、2割がよく働きだすらしい。

 

集団の中で、悪~ととらえるか、あそび・余裕と見るか?。

駐車場のゴミ拾い等で不平不満を言ったりしていますが、ゴミを皆無にはできないですからねー。

善悪は人間社会の基準だが。

新型コロナウィルスも・・・?。


長月 朔日 「観光」

「易経」一日一言~9月1日 「観光」 国の光を観る。(風地観

・・・観光旅行の「観光」の語源になった言葉である。

「国の光を観る」とは、一国の風俗や習慣、また民の働く姿を観て、国勢や将来を知ることである。

会社組織でいえば、社員の机の状況を観ただけで、その会社のリーダーのありさまや経営方針を察知するようなものである。

これには深い洞察力が要求される。そのように兆しを察する能力を「観光」という。・・・

 

物見遊山~しか考えていなかったが本来の「観光」には、敵情視察~スパイ行為の意味があったのですね。

そして、後半の「社員の机の状況を観ただけで・・・」は、ドキリ!とします。

あわてて机を片付けている~自分が思い浮かぶ・・・。(-_-;)

 

現在は、気軽に観光旅行できる状況ではないが~、そのうちに慣行で観光を敢行できるようになります(と願っています)。

9月中旬には、まん延防止等重点措置が解除される予定だが・・・。

早く鎮静化して欲しい。


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