第165回芥川賞受賞作 「貝の続く場所にて」 石沢麻衣

 

・・・人気のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。記憶を浚って顔の像を何とか結び合わせても、それはすぐに水のように崩れてゆく。それでも、すぐに断片を集めて輪郭の内側に押し込んで、つぎはぎの肖像を作り出す。その反復は、疼く歯を舌で探る行為と似た臆病な感覚に満ちていた。・・・

 

物語の舞台はドイツ・大学都市ゲッティンゲン

ようやくコロナ禍でのロックダウン明けのゲッティンゲン駅に、日本の東北地方から来た「野宮」を迎えに来ている「私」がいるのだが・・・。

列車の乗り継ぎがうまく出来なかった~と話す「野宮」の存在があまり感じられない?なぜ?。

この時点で「野宮」は幽霊!と語られているが、何かの比喩だと思い読み飛ばしていました。

メールでやり取りもしているのに。

後で本当にそうだったのだ!と理解?できるのだが・・・。

 

・・・幽閉された塔を手に持つ聖バルバラ。身体中に矢を突き立てたまま腕を縛られた聖セバスティアヌス。歯を挟んだ鉗子を抱えた聖アポロニア。(中略)シラクサの聖ルチアとシチリアの聖アガタ。拷問によって、ひとりは目を刳りぬかれ、もうひとりは乳房を切り取られた。絵画の中で、彼女らはつつましやかに、切り離された身体の一部を掲げる。・・・

 

痛そう!というか、描かれた当時の残酷さ~宗教弾圧~世相が垣間見えます。

「私」と「野宮」が、研究対象にしている宗教画の項は興味深かった~どんな絵画なのか?画像検索しながら読み進める。

遥か昔に、そのような絵画を眺めていた記憶と重ねながら・・・(何が描かれているのか?単純に興味があっただけで、それ以上深堀しなかったけど)。

「戦争」「空襲」「地震」「津波」~痛み・悲しみの記憶断片を抱え続ける意味が・・・物語の根底に流れている。

 

「寺田」という物理学を研究する人物が突然?現れるあたりでハッ!としました。

ヨーロッパの古都・ゲッティンゲン・・・過去と現在がクロスオーバーする記憶の集積地。

さまざまな「現在の記憶」もトリュフ犬ヘクトーの鼻で発見されるでしょう。