「海の民」の日本神話 古代ヤポネシア表通りをゆく 三浦佑之

・・・たとえば太平洋を地図の絵図面の中央にすえてみよう。そうすれば、大陸は図面の両わきにすさってしまい、まんなかに広々とした青一色に塗られた忘れられた島々の部分があらわれてくる。(略)よく目をこらして見ると、けしつぶほどの小さな島々が、孤独をまぎらそうとより添うように、いくつかのグループをつくってかたまり合っているのを見つけることができるはずだ。それらは、ポリネシアメラネシアインドネシアそしてミクロネシアなどと呼ばれているのを私たちは知っている。そしてこの絵図面の中では日本が、さきの地図の中とは、少しようすが変わって見えるのがおもしろい。それはもう大陸にしがみつこうとしているすがたではなく、太平洋の中でゆったりと手足をのばしているもうひとつの日本の姿といっていい。ヤポネシアと名づけられなかったのがふしぎなくらい、南太平洋のほかの島嶼群と似通った状態をそこに広げているところの島々のグループだ。・・・(序説~)

 

本書帯にある「逆さ日本地図(環日本海・東アジア諸国図)」からも、樺太を含む日本列島~南西諸島~沖縄と現在のロシア・中国・韓国・北朝鮮・台湾・フィリピンは、日本海~東シナ海でつながっているように見えます。

航海術が危なげな古代においても各地との往来は頻繁あった。

古代出雲~但馬・丹後・丹波~若狭・敦賀~越前・越中・能登の海岸沿いのつながりから、内陸部~信州(諏訪)へと至る歴史経路(古事記・日本書記・万葉集等に基づく)に興味津々です。(津々~も全国、津々浦々~にあるように港や船での移動拠点に関係するようですし。)

石川県内の河北潟・邑知潟~は古代の交通要所で、気多大社・福浦~珠洲~真脇~と能登半島を中心に北陸(古志)は文明交流拠点であり先進地だったのですね。

また、昨年11月に訪れた気比神宮出石神社にも触れられていて、由来や往時に思いをはせるのでした。

文献史料に基づく著者の主観メインかと思われますが、とても興味深い考察です。

歴史ロマン~また神社巡りしたくなりました。