敗者の古代史 「反逆者」からよみなおす  森浩一

・・・『古事記』や『日本書記』の記述を読んでいると、いつの間にか勝者が正義の人で敗者が悪人であるかのような印象があたえられてしまう。それどころか、そのような印象の積みあげが真実の古代史であるかのような錯覚をもってしまう。これはどこかおかしいのではないか。ぼくも八十代半ばに近づいてきた。頭を大回転させて、敗者の立場で歴史を見なおしてみようと急に思い立った。長生きしたおかげで、このようなことに挑戦する機会ができたのである。・・・(はじめに)

 

本書帯にある「両面宿儺」に目が行き、書店で衝動買いしました。

・・・仁徳紀に飛騨国にいた不思議な人物の逸話が伝わる。体は一つだが顔は二つ、手足は四本づつあり「人民を掠略(かす)めて楽みとす」と悪業を記す。他方で、「両面宿儺(りょうめんすくな)」と呼ばれるこの人物を開基と崇める寺が飛騨には一つならずある。まるで正反対ともいえる評価の落差から浮かび上がるのは、都での使役に駆り立てられた飛騨の匠たちを守ろうとして討たれた地元の豪族としての宿儺の姿である。・・・(P.112)

 

熊襲蝦夷も同様なんでしょう。

神武東遷(征)」も見方を変えれば侵略行為か・・・。

もっとも、他に土地を求めなければならない深刻な事情(災害?疾病?侵略?)があったのかもしれない。

「乙巳の変(大化の改新)」の蘇我氏排除も、権力闘争の結果。

著者は中大兄皇子(天智天皇)が、後々まで善政を行ったとは見ていません(「白村江の戦」で大敗)。

史実(だと推測)は変えられないが、立場が違えば評価はガラリと変わるのでした。

 

ややわかりにくい?表記も一部あったが、日本考古学の権威者の主張は納得出来ます。

若い頃からのフィールドワークに加え、文献調査・考察も入念。

 

まだご存命かと思っていました。

「考古学は地域に勇気をあたえる。」

いつまでも尽きない著者の熱意・探求心~見習いたい。