「神仏習合」 義江彰夫 著

・・・古代末期の東国の反乱者、平将門は巫女の託宣により「新皇」に即位する。託宣に登場するのは菅原道真の怨霊と八幡大菩薩。これを神仏習合の劇的な発現とみる著者は、神宮寺の発生から密教の展開、怨霊観念の成立、ケガレ忌避思想と浄土信仰、そして本地垂迹説・中世日本紀にいたる過程を分析し、社会的背景を論じつつ、全体象に迫る。・・・(本書カバー)

 

書店の中古本コーナーで、ジャケ買いならぬ~タイトル買いした本。

なかなか手こずりました・・・。

 

古来、日本は八百万神々がおわす所なので、仏教が伝来後に八百万の中に取り込まれた結果が「神仏習合」かと思っていました。

 

・・・我は多度の神なり。吾れ久劫(きゅうごう・長い時間)を経て、重き罪業をなし、神道の報いを受く。いま冀(こいねがわく)ば永く神の身を離れんがために、三宝(仏教)に帰依せんと欲す。『多度神宮寺資財帳』788年(延暦7年)・・・

 

本書の冒頭にある、このような神の告白にビックリ。

神の身は辛いので、それを離れて仏教に帰依したい~8世紀後半から9世紀前半にかけて全国で続発?した仏になろうとする神々。

 

神の告白~とはいうものの、実際は当時の権力者や支配層の代弁だったのかと思う。

思想(宗教)は権力と結びつきお互いに利用し合ったり、反発したり?を繰り返していたのでしょう。

明治期の廃仏毀釈で神道と仏教が分けられたが「神仏習合」の歴史が圧倒的に長いです。

最初に書いた「八百万の神々~」も、近代に広まった考え方なのかもしれません。

秘密結社的?な、チョッとキワモノ?感覚(失礼ながら)で見ていた「神仏習合」とその祭祀施設(神社仏閣)は、我が国古来の思想にマッチしているような気がしました。