「読んでいない本について堂々と語る方法」 ピエール・バイヤール  大浦康介 訳

Ⅰ‐1 ぜんぜん読んだこのとない本

大事なのは、しかじかの本を読むことではなく(それは時間の浪費である)、すべての書物について、ムジールの作中人物(『特性のない男』)がいう「全体の見晴し」をつかんでいることであるという話。・・・

 

Ⅰ‐2 ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本

ヴァレリーの例が示すように、ある本について文章を書くには、その本をざっと読んでいれば十分であり、ちゃんと読むことは場合によってはむしろよろしくないという話。・・・

 

Ⅰ‐3 人から聞いたことがある本

ウンベルト・エーコが示しているように、たとえ本を入手したことがなくても、他の読者が述べていることを聞いたり読んだりしていれば、本について詳しく語ることができるという話。・・・

 

Ⅰ‐4 読んだことはあるが忘れてしまった本

読んだけれど忘れてしまった本や、読んだことすら忘れてしまった本は、それでもやはり読んだ本のうちにはいるのかを、モンテーニュとともに考える。・・・

 

おーなんと!おあつらえ向きの本!・・・と読みだしたが・・・途中であえなく挫折。

なんとか、巻末までたどり着いたものの、字ずらのみ追っていたような状況でした。

本書タイトルのようには至らなかったな・・・。((+_+))

妙な見栄なんか張らずに、読んでいない~挫折しました~と、(堂々と)素直に言えれば気持ちが楽ちんです。

 

・・教養人の多くが本を読まない人間であり、逆に本を読まない人間の多くが教養人であるというのが事実だとするなら、それは本を読まないということが読書の欠如を意味するわけではないからである。本を読まないことも、厖大な書物の海に吞み込まれないように自己を律するための立派な活動なのだ。・・・(P.36)

 

そもそも「読んでいない本について堂々と語る」には「教養」が必要なのが前提。