・・・もし世の中に悪というものがなかったら、世の中というものは成り立つのだろうかということです。悪というものがなかったら、第一、警察は要りまへんな。裁判所も要りまへんな。芝居見ても面白うおまへんわな。だから、悪というものはいかに大事なものであるか。

日本の昔からの言葉に、「泥棒にも三分の理」があるというたでしょう。泥棒でも三分の理があるということは、泥棒を認めているわけです。是認して認しているわけです。

ただ問題は、悪は適数でなければいけない。悪人も善人もありますが、全体の社会にかりに百人の人がおれば、何パーセントが適数であるか。1万人のうち3人であれば健全な社会であるとする。それが5人になったら行きすぎている。3人まで減らさないといかん。悪を征伐しないといかん。3人の悪に戻さないといかん。こういうことやないかと思うんですね。

(中略)世の中というものには、絶対の善や絶対の悪はない。つまり、こういうものは絶対必要である、こういうものは絶対いかん、というものはないんですね。・・・

 

関与いただいている社労士事務所からのお便りに、このような松下幸之助氏のお話がありました。(抜粋)

 

この話で2:8の法則を思い出す。

働きアリの2割はよく働くが、8割はのんびりしているらしい。

その中の、よく働く2割のアリばかり集めても、やがて集団8割はのんびりして来る・・・とも聞いたことがあります。

反対に、のんびりアリで集団を作ってみると、2割がよく働きだすらしい。

 

集団の中で、悪~ととらえるか、あそび・余裕と見るか?。

駐車場のゴミ拾い等で不平不満を言ったりしていますが、ゴミを皆無にはできないですからねー。

善悪は人間社会の基準だが。

新型コロナウィルスも・・・?。