「親鸞と日本主義」 中島岳志

・・・なぜ〝南無阿弥陀仏〟は、ファシズムと接続したのか。

大正から昭和初期にかけて起きた親鸞ブーム。その「絶対他力」や「自然法爾(じねんほうに)」の思想は、やがて〝国体〟を正当化する論理として、右翼や国粋主義者の拠り所となる。ある者は煩悶の末に、ある者は戦争の大義を説くために「南無阿弥陀仏」と唱え。「弥陀の本願=天皇の大御心」と主張した。「親鸞思想と国体」という近代日本の盲点を衝き、信仰と愛国の危険な関係に迫る。・・・(本書カバー)

 

本書を読んだ理由は、単に興味本位からで、思想的なモノは無し。

個人的には右でも左でも無くニュートラルのつもりです。

日本主義=国粋主義と思って読む。

 

・・・親鸞思想が必然的に日本主義化する訳ではない。親鸞自身を偏狭な日本主義者だと断罪するべきではない。しかし、昭和初期には親鸞思想が極端な日本主義へと容易に結びついたことも事実である。本願寺派・大谷派という真宗教団だけではなく、教団外の親鸞主義者も国体論を礼賛し、大東亜戦争に至る思想潮流を牽引して行った。・・・(P.275)

 

人々の心の安寧の拠り所となる「宗教」が、その時期は国家に寄り添い戦争遂行に協力した事実は衝撃。

親鸞の教えは高尚(ワカラナイまでも、そんな感じ?)だが、都合よく?解釈した。

教団組織としては、致し方なかったのかもしれないが。

おそらく他宗教も、似たようなことがあったのではないかと推測・・・。

 

・・・私たちは、親鸞と日本主義を結び付けた宗教者・思想家・文学者たちの失敗から学ばなければならない。私たちは、先人たちの苦闘から照らされている。彼らの轍を見つめ直すことで、自己を諫め、前に進まなければならない。・・・(あとがき)