「火定(かじょう)」 澤田瞳子

・・・藤原氏が設立した施薬院の仕事に、嫌気が差していた若き官人・蜂田名代(はちだのなしろ)だったが、高熱が続いた後、突如熱が下がる不思議な病が次々と発生。それこそが、都を阿鼻叫喚の事態へと陥らせる”疫神(天然痘)”の前兆であった。我が身を顧みず、治療に当たる医師たち。しかし混乱に乗じて、お札を民に売りつける者も現れて・・・。(本書カバー)

2017年11月に刊行されて文庫化されたのが2020年11月~まるで、コロナ禍を予測したかのような内容。

舞台は、天平7年(735年)から天平9年(737年)にかけて日本を襲った「天平のパンデミック」下の都~奈良(平城京)。

朝廷の政務も停止し、国内で100万人以上が犠牲になってしまった。

古市憲寿流にいうと、大ダメージを受けた国力を更に費やしてでも、大仏を作るほどの大きな災い・・・。

奈良時代~なのに、言葉遣いや登場人物の行動が現代風?なのが序盤は気になったものの、佳境に向かうにつれて問題なくなりました。

牢獄の環境~病や騒乱で落命した人々の状態~打ち捨てられたおびただしい亡骸の状態は、リアル地獄?というか~想像を絶する描写です・・・。

 

・・・病とは恐ろしいものだ。と名代は思う。それは人を病ませ、命を奪うばかりではない。人と人との縁や信頼、理性をすら破壊し、遂には人の世の秩序までも、いとも簡単に打ち砕いてしまう。・・・(P.182)

 

現在と当時の治安・衛生・医療・食料事情は比較しようがないが、パンデミックへの対処法と発生する出来事は大差ないのかもしれない。

とっくに医療崩壊している施薬院を、超人的な働きをもって必死で維持しようとしている医師の綱手(つなで)、名代はじめとする施薬院スタッフの行動は、現在の医療機関にも通じます。

大勢の患者と常に接しているのに、何故この人物たちは罹患しない?とのツッコミどころはあるが、気にしない気にしない(手洗いに努めているということだが・・・)。

 

・・・痘瘡がこのまま終息するのか、それとも再び熾火が風を得た如く猛威を揮う日が来るのか、それは誰にも分からない。だが、たとえどんな病が都を襲ったとしても、自分たちは再びもがき、苦しみながら、それに立ち向かうだろう。人の醜さを、愚かしさを目のあたりにしながらも、それでも生きることの意義と、無数の死の向こうにある生の輝きを信じ続けるだろう。・・・(P.430)