「百鬼園随筆」 内田百閒

・・・夏目漱石門下の異才・百鬼園こと内田百閒の代表的著作のひとつに数えられるこの随筆集は、昭和8年に出版されるや大いに評判を呼び、昭和初期の随筆ブームの先駆けとなった・・・(本書カバー)

 

僭越ながら、文学作品なんですが気軽に読め、人間味あふれる?著者の行動がオモシロイ。

陸軍士官学校や海軍機関学校~といった名だたる教育機関で教鞭をとるが、私生活は借金漬けだった・・・。

 

・・・百鬼園先生思えらく、金は物質ではなくて、現象である。物の本体ではなく、ただ吾人の主観に映る相(すがた)に過ぎない。或は、更に考えて行くと、金は単なる観念である。決して実在するものでなく、従って吾人がこれを所有するという事は、一種の空想であり観念上の錯誤である。実際に就いて考えるに、吾人は決して金を持っていない。少なくとも自分は、金を持たない。金とは、常に、受取る前か、又はつかった後かの観念である。受取る前には、まだ受取っていないから持っていない。しかし、金に対する憧憬がある。費(つか)った後には、つかってしまったから、もう持っていない。後に残っているものは悔恨である。そうして、この悔恨は、直接に憧憬から続いているのが普通である。それは丁度、時の認識と相似する。過去は直接に未来につながり、現在と云うものは存在しない。一瞬の間に、その前は過去となりその次は未来である。その一瞬にも、時の長さはなくて、過去と未来はすぐに続いている。幾何学の線のような、幅のない一筋を想像して」、それが現在だと思っている。Time is money .金は時の現在の如きものである。そんなものは世の中に存在しない。吾人は所有しない。所有する事は不可能である。・・・(P.170~171)

 

(屁)理屈っぽいが、百鬼園先生が語ると納得?してしまいそうになります。

実話に基づくであろう、シビアな高利貸しとのやり取りもオモシロイ~何でも随筆ネタにしてしまう。

手紙と電報・電話が最速コミュニケーションツールだった昭和初期の生活風景も興味深いです。(のんびりしてていいなー)