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月別アーカイブ: 2011年6月

水無月 晦日

毎度のことですが、6月もアッと言う間に過ぎようとしています。

今月は地域の風景画像をたくさん貼り付けましたし、取材(?)にも行きました。再発見というと大げさですが、郷土愛というか生まれ育った場所のことをますます好きになりましたし、歴史や風景・自然を出来る限り、次の世代へ引き継いでいくことの重要性を感じています。当ブログを通じて同じような気持ちを持っていただける方が少しでも増えると、うれしく思います。(汗

梅雨の最中ですが雨が降らずに蒸し暑い日が続いています。体調管理に気を付けましょう。

明日から「文月(七月)」。ブログにどのような文を書くことになるのか~?。

(出来るだけ)楽しく、タメになる内容にしたいものです。

CIMG3416.JPG~上菊橋の上から大桑橋方面を望む~

追加~6月25日の記事にあった「三州奇談」という書物は、石川縣図書館協会 昭和8年(1933年)初版発行で、昭和47年(1972年)に復刻されたものが玉川町の市立図書館にありました。(多分これだと・・・。)

加賀・能登・越中各地で起こった不思議な出来事が書かれた本でした。旧カナやムズカシイ漢字が多かったので、パラパラとしか見ていませんが背筋がゾクッとなるような話も・・・・。


Kuragari-syouzu

清水(しょうず)と言われる湧水が以前は多くありました。

笠舞本町2丁目に「くらがり清水(しょうず)」があります。

夜、とても暗かったのでその名が付いたようで、たくさんのホタルが飛び交っていたようです。

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周囲は公園のように整備されていますが肝心の水量が少なく・・・そのため利用や見物に訪れる人たちも少なくなり・・・残念ですが~。

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~廃墟感が漂っています。柵(?)と椅子状の置き石の周りを掃いて、水源付近の除草と水流部を清掃すればよいのに・・・と思いますが、湧水が少ないのはどうにもならないか~。

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水源らしき場所からは水が出ています。せっかく整備してあるのに、モッタイナイな~。

清水を利用するひと・清水を維持管理するひとの両方がいないと、このようになってしまうのですね。ショッピングセンターも、お・ん・な・じ~かな・・・。

復活プロジェクトは存在するのか?。それとも、清掃前のタイミングで訪れたのでタマタマこの状態だったのだらうか?。

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くらがり清水(笠舞本町2丁目43付近)


田園雑感・・・

ほぼ一月程前から読みだした「寺田寅彦 随筆集」はまだ一巻の中ほどまでしか進んでおりません。文字が小さいと・・・などと言い訳がましいですけど。

その中「田園雑感」の三章 (大正10年(1921年))から引用させてもらいます。

 田舎の自然はたしかに美しい。空の色でも木の葉の色でも、都会で見るのとはまるでちがっている。そういう美しさも慣れると美しさを感じなくなるだろうという人もあるが、そうとは限らない。自然の美の奥行きはそう見すかされやすいものではない。長く見ていればいるほどいくらでも新しい美しさを発見することができるはずのものである。

~中略~

 六つになる親類の子供が去年の暮れから東京へ来ている。これに東京と国とどっちがいいかと聞いてみたら、おくにのほうがいいと言った。どうしてかと聞くと「お国の川にはエビがいるから」とと答えた。

 この子供のエビと言ったのは必ずしも動物学上のエビの事ではない。エビのいる清冽な小川の流れ、それに緑の影をひたす森や山、河畔に咲き乱れる草の花、そういうようなもの全体を引っくるめた田舎の自然を象徴するエビでなければならない。

~中略~

 私自身もこのエビのことを考えると、田舎が恋しくなる。しかしそれは現在の田舎ではなくて、過去の思い出の中にある田舎である。エビは今でもいるが「子供の私」はもうそこにはいないからである。

 しかしこの「子供の私」は今でも「おとなの私」の中のどこかに隠れている。そして意外な時に出て来て外界をのぞく事がある。たとえば郊外を歩いていて道ばたの名もない草の花を見る時や、あるいは遠くの杉の木のこずえの神秘的な色彩を見ている時に、わずかの瞬間だけではあるが、このえびの幻影を認める事ができる。それが消えたあとに残るものは淡い「時の悲しみ」である。

 

地域のことに興味をもってきた自分自身の気持ちと似ている気がしました。(センエツですが~。)ちなみに「笠舞の大清水」には、エビがいたことを覚えています。

自分さがし(?)をしているのかもしれません。この章を読んで思いました。

秋でもないのに感傷的な・・・・。


自然がいっぱい

地域の風景でブログ記事を書いていると、見過ごしてしまいそうな存在にも目が行ってしまいます。

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涌波4丁目地内の風景で用水(多分、辰巳用水から分岐)が降ってきています。

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登って行けそうな感じですが・・・この時期に藪に入るのは避けたいです・・・。

あとで地図で周辺をみたところ、辰巳用水辺りまで道が付いていました。画像でも分かりますが、水量も多く流れる音が涼しげです。(音だけですけど。)

小立野台の犀川側に、このように用水にまつわる風景や坂・階段があるということは、反対の浅野川側にも同じくらいあるのでしょう。用水関係は少ないかもしれませんが・・・。この探検はエリアを一応「崎浦地区」としていますが、いずれは探ってみます。

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「小立野台風致地区」の表示付近からパレット方面を望む~。

木々が茂った画像ばかりだと秘境・山奥のようですが、普通に住宅地域ですよ。


~名もない階段~

これまた以前から気になっていた三口日吉神社横の階段。

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登り口から見る限り行き止まりになっているような・・・・。私道なのかと思っていましたが、下水の蓋が数ヵ所見られますし、立派な手すりもあるし公道なのでしょう。

今まで通った記憶がないので、行ってみましょう!。

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かなり勾配がきついです。向かって右側は神社の木々で左側は一部空き家になっています。

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階段としては行き止まりですが、道らしきものが付いています。

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私道かな?進んでいくと・・・・。毛虫の季節なので・・注意しながら通ります。民家の軒先前を通過。

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小立野1丁目3番地付近に出ました。この道は知らなかったです。

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降りの景色。小学生の頃に戻って、ちょっとした正に探検(Explorer)気分を味わっています。

地形の関係で名前も無い、知られていない坂・階段が多くあると「さきうら」誌にありましたが確かにそうでした。

キレイに整備された坂・階段はモチロン素敵ですが、通行する人は少ないものの、生活路として役に立っている存在は興味深いものです。

坂・階段・道は地域を区切る目印にもなっています。これまた歴史をさかのぼれば、いろいろな由来があるのだろうなぁ~。


神社本庁のPR記事のようですが・・・

前を通る機会はあるのだけど、立ち止まることのなかった城南2丁目にある「藤棚白山神社」。

名所旧跡巡り・・・ということではないですが、立ち寄ってみました。

CIMG3392.JPG名前のとおり、境内に藤の棚があります。

祭神はイザナギノミコトhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%8A%E3%82%AE

文和年中(1352年~1355年)富樫氏春http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E6%A8%AB%E6%B0%8Fの建立。

江戸時代の書物「三州奇談」(加越能三州奇談というらしい。加賀藩内の不思議な話をまとめた本のようですが、詳細?要調査。)にこの神社は、犀川上流の覚源寺(菊川の川上広見の近く)の門を過ぎた所に藤の花が満開に咲いている神社があると紹介されている。しかし明治18年の洪水の際に流失したため、もとあった場所から600m川下に再建された。その時の洪水で名物であった藤の木も流され、今の境内に移った。~「さきうら」参照~

白山神社(wikipediaから)

白山神社(はくさんじんじゃ、しらやまじんじゃ)は、白山の神を祀る神社である。加賀国白山比咩神社(現石川県白山市)を総本社とする。祭神菊理媛神(白山比咩神)・伊弉諾尊伊弉冉尊の3柱としているものが多い。

日本各地に2,700社あまりあるが、特に岐阜県愛知県・石川県・新潟県静岡県に多く分布する。

白山さんまで行かなくても、近くにあります。(もっともそんなに信心深くはないですけど・・・。)

CIMG3394.JPG

現地取材(?)する必要はありますが、由来等や関連する語彙は、ネットですぐに調べられます。とても便利ですが、正確かどうかは不明なものもありますし、知らなくても良かった内容があることもあります・・・。PC・ネットはあくまでも道具、上手く使えば便利です。主役はヒトですね。


猿丸の杜

・・・気を取り直してと・・・。

緑したたる季節(かなり蒸し暑いですが)。「笠舞」の地名由来でも書いた、猿丸神社です。

CIMG3388.JPG

まわりの騒音も樹木に遮られているため、静かな別世界です。

金沢市史・寺社編によると~「石浦郷笠舞村鎮座、称猿丸宮、石浦三輪神社末社也。祭神不詳蓋旧社也」古くより猿丸大夫http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E4%B8%B8%E5%A4%A7%E5%A4%ABの居跡であると伝えられ、本殿に十一面観音像http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%80%E9%9D%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3と石刻の猿を安置してある。

また、犀川地域に分布する日吉山王信仰との関係が指摘されている~とあります。

「鎮守の杜」の記事http://a-palette.com/blog/2011/06/post-117.htmlに書いた信仰は「猿」に関わるもので、猿丸大夫も皇族です。またまた、歴史のロマンを感じます。

CIMG3390.JPG

猿丸神社の暗黒面(?)に~丑の刻参り~があります。どの木が対象なのかは分かりませんが・・・・。

樹木に囲まれた別世界の夜は、異界への出入り口が存在・・・して・・・いる・・・?。


せっかく書いた・・・記事が消えてしまった!(涙


番外編

地域ネタからガラッと変わりまして~新しいモノネタ。久しぶりに大阪へ行ってきました。

メディアで紹介されていました「大阪ステーションシティ」。

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名称は「時空(とき)の広場」で、この下は電車のホームになっています。ここだけで約3,000㎡あるようです。このような公共部分の雰囲気は、どことなく空港風です。

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それにしてもデッカイ建物だなぁ。駅コンコースはモチロン人出はありますし、最上階の飲食ゾーンもまさにごった返しています。物販ゾーンは・・・・そうでもなかったかな。でも休日はスゴイ人出でしょう。

もともと駅に隣接していた大丸大阪・梅田店の真向かいに新たにJR大阪三越伊勢丹(百貨店銀行同様に元がなんだか分からなくなりつつある・・・。)が同規模で出来て、加えて専門店ビルも出来て、以前から阪急百貨店はあるは、阪神百貨店はあるは・・・どうなるの?って感じがしますし、それに阪急と阪神の両百貨店は同列会社だし・・・言葉は適当でないですが~仁義なき戦い~という思いが・・・。

また、すぐ横でも工事してます。何をつくっているのやら?。

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国内有数規模の商業施設ですが、新しいうちはいいけど古くなってくると・・・維持するのがが・・・なんて、考えてしまうスケールの小さな発想しか出来ない自分です。

これだけ変わってしまった大阪駅ですが、20年近く前に初めて訪れ、その後何回か訪れたカレーハウスが同じ場所(駅の地下)でほぼ変わらず(多分)営業していたのに何故か~ホッとします。今回も、なつかしい味を味わえました。


笠舞の大ケヤキ

地域の坂や階段から、神社にシフトしています。両者とも昔から、住んでいる人たちにとっては大事な存在だから・・・。

笠舞の日吉神社です。↓

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瘧(おこり:マラリヤ、高熱・頭痛・吐き気の症状)の守り神として信仰され、祈願の際に酒粕を奉納したため「粕の宮」ともいわれたそうです。何故?酒粕だったのか?酒粕が病に効き目があったからでしょうか。単に宮司さんが好きだったから?。

また境内には「笠舞の大ケヤキ」といわれる樹齢500年~の大樹があり、樹高33メートル・幹周5.27メートル・枝巾28メートルで、昭和55年(1980年)に「かなざわ名木百選」に指定されています。~「さきうら」引用~

その「笠舞の大ケヤキ」↓

CIMG3379.JPG

写真を撮るのが・・・いまいちだな・・・。でも、大きさは分かっていただけたでしょうか?。

周囲に木々が少ないので、先日の「三口日吉神社」の大ケヤキとほぼ同等の大きさなのですが目立つ「笠舞の大ケヤキ」です。圧倒される~、どちらも御神木に相応しい存在ですね。


オオナムチノミコト

崎浦地区には「三口」「涌波」「大桑」「笠舞」の日吉神社があります。

鳥居が変わっている大桑日吉神社↓。

CIMG3375.JPG

石と煉瓦で楼門(2階造りの門)をつくり、その上に3重?の塔を乗せてあり、欄干?部分には梅紋があり、どことなく中華風な感じもします。

奉納年月不詳であるが、大桑村下戸組寄進とされ尾山神社の山門を模したのではないかといわれている。明治の初期、大桑村に揉め事が起こり、村が二つに分裂した。やがて和睦となった折りに、その神前の誓いとして一つづつ鳥居を献上することになり、一つは普通の鳥居、もう一つはシナ式楼門形になったと伝えられている。普通の鳥居は「ジェーン台風」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%8F%B0%E9%A2%A8で倒れ、現在の鳥居は昭和41年(1966年)に建て替えられたものである。~「さきうら」から引用~

神社自体の創立も不詳のようです。祭神は大山咋命(おおやまくひのみこと)と大巳貴神(おおなむちしん)。

大巳貴神は大国主命(おおくにぬしのみこと)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BBともいわれています。羽咋の気多大社の祭神でもありますし、出雲大社もそうです。祭神が複数で大社(おおやしろ)にも祭られている神様が鎮座されているということは、かなり格式が高い神社なのかもしれません。太古から大桑村を守っているのでしょうね。

img122.jpgのサムネール画像

青木繁 画伯 おおなむちのみこと 1905年


鎮守の杜

昨日の「三口日吉神社」について~

祭神:大山咋命(おおやまくひのかみ)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%92%8B%E7%A5%9E

創立:享保20年(1735年)

杉・ケヤキ・タブの他、保存林(金沢市指定)がある。参道右の大ケヤキは樹高35メートル・幹周5メートルに及ぶ巨木であり拝殿左の杉とともに、この杜の象徴的な樹木となっている。昭和59年(1984年)9月26日「かなざわ名木百選」に指定されている。~「さきうら」から引用~

本当に近所でも知らないことが沢山あります。

また、日吉神社は全国に在り、山王信仰http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%8E%8B%E4%BF%A1%E4%BB%B0という神道に連なる神社のようです。

豊臣秀吉の幼名(日吉丸)にも由来があるのかな?神使は猿らしい。原始山岳信仰につながる部分もあるような?。

以前読んだ「信長の棺」3部作 (作者 加藤 廣)では、実は秀吉の出自は皇族に繋がる「山の民」であって、蜂須賀小六も同族である・・・という前提で書かれていました。

日吉神社は日枝神社に連なり、日枝(ひえ)は比叡山に、比叡山は王城鎮護の山で都とも関係が深い・・・まったく的外れな内容でもないような?・・・と近所の神社から歴史に関する想像が拡がっていきます。


鳥たちのサンクチュアリ

三口新町第一児童公園付近を歩いていたところ・・・「カッコウ~、カッコ~」と聞こえてきます。

小立野台との境の林からでしょうか?。

kakko050529.jpg

こんな住宅地でも生息しているのか?たまたま立ち寄ったか?鳴き声だけ聞いていると、高原にいるような~チョット得した気分になりました。上」の写真はネットに在ったものですが、今度は姿も拝見したいものです。

あまり立ち寄ることもないのですが、カッコウのこともあったので、側の「三口日吉神社」の境内へ・・・。

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CIMG3358.JPG意識して見ることは今までなかったのですが、かなり存在感のある御神木です。住宅地に在るとは思えないような・・・空間。夜間だと怖くて近づけないかも。

人が立ち入らない方がサンクチュアリ(生態系保全区)に相応しいのですが。

そして、勝手に写真を撮ってしまいましたが御礼をいい忘れていました。

遅くなりましたが・・・ありがとうございます。

 


金沢~用水巡り?

所用がありまして、久しぶりに金沢城址周辺の白鳥路を歩きました。

CIMG3345.JPG

この辺りはホタルが生息していて「ホタル観賞の夕べ」が催されています。

「金沢ホタルマップ」なるものを金沢市は作っています。それによると、かなり広域に生息しているみたいですね。

笠舞・小立野界隈でも、数は少ないですがホタルが生息しています。(今年は見ていませんが、多分。)

まだ明るかったのと、マップによると生息数が少ないということもあってか、ホタルには会えませんでしたが、しばし観光客気分で散策・・・。

最近の記事内容で、用水ネタを書いたこともあり写真上の小さな流れも~さかのぼれば辰巳用水や、ひょっとしたら”大清水”に辿りつくのか?と思うと、より親しみが湧いてきます。

白鳥路に至る前にも用水の写真を、とあるお店から撮らせていただきました。↓

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金沢城の西惣構(そうがまえ)。流れは辰巳用水の一部?だと思います。勘太郎川の流れも入り込んでいると思われます。(想像・・・。)

CIMG3337.JPG

惣構(石垣)の借景がステキなところであります。ありがとうございます。

金沢は用水でもつながっているのだな~。


坂の上の~

近隣の坂や階段に注目していますが、パレットにも屋上駐車場へ上がる坂(スロープ)がありました・・・。(降りスロープもです。)

CIMG3336.JPG

パレットの坂の上・・・と雲があって・・・ということで(かなりこじ付け)・・・

「・・・このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがて彼らは日露戦争という、とほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう・・・。」
~ 「坂の上の雲」 あとがき 一 より抜粋 ~

この坂(スロープ)は短いのでアッという間に上りきってしまいますが、「坂の上の雲」の坂は、ひたすらに上り続けるモノだったと思います。(追いつき追い越せ!)

小説では、戦闘を中断して戦死者を弔いあうシーンが印象に残っています。武士と騎士が互いの道に則って戦っていた時代だったのでしょうか?。(実際は、日露とも農民兵だったらしい。)

小説の登場人物(楽天家たち)の方々は、輝いた雲(未来)をみつめていたのですが、坂の延長にある約100年後の現在を見たならば~どのような感想を持ったのだらうか?。

 

 


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