月別アーカイブ: 2011年8月
葉月 晦日
2011年8月31日 ブログ
8月も今日で最終日を迎えます。
暑かったと思えば急に秋めいて、と思ったら再び暑くなっています。(本日も暑い~。)
夏休みを取って何処かへ出かける・・・といった慣習がないので、ずっと地元滞在でしたが、坐禅を体験したりと割りに非日常的なことをしていたので、充実(?)していたかな。
新聞を見ていたら、スポーツシューズに関する記事がありました。↓
スポーツシューズ(スニーカー)が好きで、何足か持っています。
20年くらい前から海外製のシューズが増えてきたなァ、と感じていました。
現在、ほとんど国産は無いようです。(オーダー製や特注品はある?。)
シューズに興味を持ち出した頃(30年前??)は、シューズのタン(ベロ)の裏に付いていた、Made in USA ・ Made in France ・ Made in WestGermany・・・の文字にとても憧れました。
N社の同型シューズで国産とUSAのモノがあり、価格は5割以上高いのですがUSA物が欲しくてたまりませんでした。(結局、買えなっかた・・。)
現在の主要生産国製(Made in China)は少数派で、国産が主流でした。
製品品質は欧州製がトップでついで日本製。USAとChinaやTaiwanは甲乙付け難しだったでしょうか。個人的な感想ですけど。
今では新聞記事にあるように、ほとんどのシューズが中国・インドネシア・ベトナム製です。
当時と比較しようがないくらいに、経済情勢・通貨バランスは激変しています。
品質も国産と変わらないくらいに向上しているので、製品には何ら不満はないのですが、かつて欧米製に憧れた感じが無くなったのはさびしいです。
ブランド名は欧米の会社ですが、生産国にもコダワリを持っていた時代がナツカシイ。舶来偏重ですが、それが価値を持っていたし価値を感じていたのです。
素材に関して、ナイロン系が主流なのは現在と同じですが、アッパー補強部には皮革等の天然素材が使われていましたし、オールレザー製も多くあったなァ。中にはカンガルーレザー製のシューズがあって垂涎モノだった。
現在は合成皮革製が多いし、その機能も向上していますが、これも天然モノに価値を感じます。
化学合成された素材を多用したシューズはメンテナンスは簡単です。でも使い方にも因りますが数年で壊れます。
使い過ぎて穴が開く・・・ではなく、突然に割れたりして壊れます。(特にポリウレタン樹脂のクッション材:経験者談)
たしかにシューズは消耗品なのですが、修理ができないので悲しい。昔のシューズは修理が出来た。(ハズ!。)
なんか昔話をクダクダ書いてしまいました。過去のことばかり言うのは、現状への不満の現われです。
しかしシューズに関して言えば、昔は良かった!各ブランドに特徴が個性があった!と思っています。今はデザインも似通って、面白みに欠ける!。
過去を懐かしむと、全てそう感じてしまうのかな・・・。
職場の風景
2011年8月30日 ブログ
ある書籍に書いてあった内容を少し変えたモノです。
仕事柄、職場(会社・お店)に一歩足を踏み入れた時の印象で、社長・店長の管理能力、企業成績の善し悪し、社員のヤル気などが、ほぼわかります。
そして、接客態度を見ると躾けや教育の内容まで想像できます。
なぜなら、職場の整理整頓の具合などで、仕事に取り組む姿勢などが推測でき、社員の顔付きや歩く姿などから意欲のほどが窺えるからです。
社長・店長の能力通りのものが、全ての面にそのまま表現されます。
職場は、管理者を映す鏡のようなもの。
意識して来客にいい感じを与えようとしても、付け焼き刃ではすぐにバレるものです。来客のためではなく、自分たち自身のために、社員を厳しく教育する。あらゆる手段を講じて社員の意欲を旺盛にする。
これを社長・店長が常に意識して行えば、職場や社員は見違えるほどピンと張りつめ、活気が出てくるでしょう。
乱雑で活気のない職場では、社員の心まで乱れがちとなり、士気の低下を招くだけです。
さて、あなたの職場は?。
ドキッ!とします。
個人の資質ではなく、躾け・教育の結果が現われる・・・。
他社を批評して好き勝手いうこともありますが~同じ目線で自社を見てみると?。どうだ?。
日々改善!
2011年8月29日 ブログ
セミナー受講。
講師の税理士 山根敏秀先生の話は以前も聴いたことがあります。
「日々改善」http://blog.goo.ne.jp/yamanezeirishiというブログは毎日チェックして参考にしています。
期待に違わず今回も楽しめました(?)し、学びもありました。
レジュメやホワイトボードに書けない内容?も・・・・。
セミナー後の懇親会では、隣の席だったのでイロイロとお話しをさせていただきました。ありがとうございます!。
分かっているつもりの内容でも、改めて見聞きすると、新たな発見や、ハッ!と感じることがあります。
是非、また機会を設けて受講したいです。
日々改善だし、日々学び、だなァ。
鶴亀算
2011年8月26日 ブログ
土砂降りの中、ひとり「桂三枝 独演会」へ!。
以前から落語に興味があって、TV・ラジオで放送されていると見聞きしています。
ただ、本格的な落語は聞いたことがなかったのでした。パレットインフォメーションで、販売するというので即購入!。やっと聞くことができました。
独演会といっても前座があって、桂三枝の話は2話。
なかでも前半トリの「宿題」という創作落語は面白かった!。
子どもが、学習塾の宿題を父親に教えてもらう際のやり取りが楽しい内容です。何だか自分にも当てはまることも・・・・。
鶴亀算の話です。
「月夜の晩に池のまわりに鶴と亀が集まりました。頭を数えると16、足を数えると44。鶴と亀は何匹いるでしょう?。」~
父親は先ず、16を半分にしてそれぞれ鶴と亀に当てはめます。帳尻が合わなくなると「亀が頭を引込めていたんや。」とします。
「そんなメンドクサイことせんと、鶴と亀そのまま数えたらエエんやぁ。」とも・・・。
笑いながら・・・自分もそう考えるな・・・と、苦笑いへ。
16匹、全部が鶴(足2本)とすると足の数は、16匹×2本=32本。
足の合計は44本で全部が鶴の場合との差は、44-32=12本。
亀は足4本として、鶴との足の差は”2”。鶴1匹と亀1匹を入れ替えると足は2本増える。
12本÷2本(増加分)=6 で亀は6匹。
16匹-6匹=10 で鶴は10匹。
訊ねられても、即答できないな~。冷汗モンです。
話術で人を引き付ける~とは言いますが~、華やかさとも相まって、プロの落語は一見(一聴)の価値ありと思います。
地蔵盆
2011年8月24日 ブログ
毎年8月24日あたりに町内の地蔵盆を行っています。(とは言うものの今年初めて知りました。)
近隣の町内にある、お地蔵さんも同様のようです。
午前9時半ごろに、お坊さんが来るというのでモタモタと設えましたが・・・。ヤッツケ仕事みたい。(汗)
交通量の多い道路脇にひっそりとある祠なので、存在を知らない方もいらっしゃいます。
交通安全を祈願するお地蔵さん。
地域の方々がお参りに訪れます。例年、この位の人数だそうです。
地域行事の一つとして続けて行く必要がありますが、平日の午前中だと参加者が限られますね。
当地域は、信仰心篤い方々が多いと聞きます。今後もそんな地域であり続けられるように・・・。それは、我々世代が引き継いでいくのか~と、参列しながら思っていました。
昨日の坐禅といい、お盆があったりと信仰にまつわることの多い今月です。
只、坐禅する。
2011年8月23日 ブログ
本日(8月23日)、パレット1階部分は設備点検のため休館となっています。
なお、地下店舗、クリニック棟、北国銀行・金沢信用金庫は通常営業です。
そんな日の早朝、石川県中小企業家同友会 金沢中央支部の早朝例会(6:00~)で、大乗寺にて参禅体験をしてきました。
大乗寺 山主の坐禅についての講話後、坐禅堂にて坐禅・・・・。
坐禅は瞑想とは違うそうです。心、意識を使わない?と言われてもどういう感覚かやってみないとわからない。
目をつむることもない。ただ坐禅するのみ。
耳から入る、セミしぐれ・梵鐘の音・時折聞こえる自動車の音・・・は聞き流す。
正面の壁をぼんやりと眺める30分です。でも、こんな時に限って鼻のあたまが痒くなったりします。
「痒くなるってことは、その部分に手を触れたいという欲が出てきたということか。これが『痒さを意識した』ってことか?。意識を使わないということは、自然に任せるということなのかな~?」などと思ったりしているうちに坐禅が終了。
雨に濡れた庭が清々しいな~と思えたのも坐禅の効果か?。
その後、朝餉(お粥)をいただきます。
これは↑いただいた箸袋を、戻ってから撮影したものですが食事前に、この「心得」を全員で唱えます。
モチロン、坐禅中も食事中も、私語は禁止。ですから画像はありません。
玄米に近い状態のお粥に、紫蘇粉、擦りゴマ、塩ワカメのふりかけと薄いタクワン3切れのみ。
作法に従いいただきます。(正座で)
お粥を食べ終えた後、お椀に少量の白湯を注ぎタクワンでお椀の内側を拭い、ふりかけのあったお皿にタクワンとともにお湯を移し替えて、一緒に飲み(食べ)込んで終了。
毎日、この食事内容なら激ヤセするか?でも、煩悩だらけでは、一日で離脱しそうです。
坐禅は初めてでしたが、面白かった(?)です。山主の話によると、日本人より外国人の方が坐禅に興味があり、詳しいとのこと。
坐禅で日本を始めよう~ってこともありか?。
参禅体験を受け入れていただいた大乗寺さん、早朝にも関わらず、ご参加いただいた皆さん。
とても貴重な体験ができました。
ありがとうございます。(正座が辛かった。)
日本を始めよう。
2011年8月22日 ブログ
日本経済新聞(8月22日)未来面という面にあった新聞社企画。
「・・・・・・・・・」な日本を始めよう というテーマで募集した結果~。
「あきらめない日本を始めよう。」に決定。
そのような日本になるための具体案は、これからまた募集するようです。
で、感じたこと。
今までも、ここにあるような”日本”ではなかったのかな?。
筆者は、「・・・・」な日本を始めなくても、既にここに書いてある素晴らしい”日本”だと思っていましたし、現在もそうだと思っているので、改めて謳うのはどうかな?、とモタモタと・・・。
素晴らしい日本を再確認できるので、いい企画だとは思います。
いろんな意見があるのは当然ですが~チョッと違和感を感じました。
失礼しました・・・。
寺田寅彦 随筆集
2011年8月21日 ブログ
たしか5月下旬あたりから読み始めた「寺田寅彦 随筆集」全5巻。
他の本と並び読みしているとはいえ、まだ2巻目です。
日常の風景を描いている内容なのですが、たまに・・・・さすがは著名な物理学者。目まいしそうな数式が・・・・。
こんなのが登場すると、本を閉じてしまう。いや、とにかく読もう!と思ってまた開いて・・・しばらくして閉じる・・・を繰り返していました。
そんな中、本日(8月21日)の北陸中日新聞の社説タイトルはズバリ!「寺田寅彦を読み直す」。
~「天災は忘れたころにやってくる。」そう言った明治生まれの物理学者寺田寅彦が震災後、再読されています。人間と科学の関係の問い直しなのです。~
ちゃんと読め!と言われたような気がして、早速に再開しました。
難しい内容ばかりでなく、飼い猫を観察していたり、迷信にあるような化け物の正体を科学的に解説した内容があったりと面白く読める文章も、もちろんあります。
当初予想したとおり時間はかかるけど、読むぞ!、と改めて決意。
晩夏の大清水
2011年8月20日 ブログ
昨日来、とても過ごし易くなっています。
でも油断は禁物!数日後にはまた真夏日が再開するとのこと。
暑い最中には、立ち寄らなかった「大清水」へ~、曇り空のためか画像は何気に秋モード。
http://a-palette.com/blog/2011/06/post-103.html 6月8日の画像と比べても、そう感じます。
何故、「大清水」へ立ち寄りたくなったのか?。
子供のころ、夏休みも残り少ないのに宿題が手つかず。でも苦し紛れでここへ来れば宿題の一つは何とかなるだろうし、水遊びもできるな~ッ、といった記憶が蘇ったため?かもしれない。
個人的に夏の終わりを感じる光景でした。
今の子供たちは、どうなのかな?
徒然に・・・。
2011年8月19日 ブログ
昨日からの豪雨のためか、今日は過ごしやすいです。
虫の音も聞かれますが、ブログでは再現できない。何か秋の兆しがないかと・・・風景を撮ってみる。
少し曇り気味で、多少・・空が高く感じられないこともない。食材は秋の気配が感じられてきましたが、体感するには、まだ時間がかかりますね。
まだ、8月19日だし・・。
で、今日の「名将名言録」に武田信玄の言葉として、
「鏡にて物見ゆる様に、大将の私(わたくし)なくなさるること」(甲陽軍鑑)
~士卒のあげた手柄は上・中・下にしっかり分け、また無手柄も上・中・下にしっかり分けることが肝要で、鏡に物が映るように、その判断に私がないようにせよとの教え。~
中立のつもりでも、私心は何処かにあります。それが人間らしいということにもなりますが・・・。
名将といわれる方々は、スゴイ!と毎回感じます。
これもスゴイ!信玄公。
金次郎像
2011年8月18日 ブログ
昨日の記事に書いた二宮金次郎像について、某所で会話しました。
「偶像崇拝ってみられて、だんだん置かなくなってきているみたいやね。」
「宗教の対象じゃないんだけどな~。」
「前時代的なんかな。」
「でも、報徳訓はいいことゆうとるぞ。」
「だから、オッサン扱いされるがや。」
~Wikipediaの二宮尊徳からの抜粋~
各地の小学校などに多く建てられた、薪を背負いながら本を読んで歩く姿に関する記述は、1881年発行の『報徳記』で現れる。ただし、薪を拾って売り、その金で勉学をしたのは事実だが、このような姿で実際に歩いていたという事実はないとされる。報徳記を基にした幸田露伴著の『二宮尊徳翁』(1891年)の挿絵で、はじめて薪を背負って歩く姿の挿絵が使われた。1904年以降、国定教科書に修身の象徴として尊徳が取り上げられるようになった。
これらの学校教育や、地方自治における国家の指導に「金次郎」が利用された経緯には、尊徳の実践した自助的な農政をモデルとすることで、自主的に国家に献身・奉公する国民の育成を目的とした統合政策の展開があった。この「金次郎」の政治利用は、山縣有朋を中心とする人脈によって行われており、特に平田東助・岡田良平・一木喜徳郎らによる指導が大きかった。
小学校の校庭などに見られる「金次郎像」は、彼らの政策によって展開された社会環境を前提として、国家の政策論理に同調することで営業活動を行った石材業者や石工らによって広まったとされる。
昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって各地の小学校に像が多く建てられた。そのとき、大きさが1mとされ、子供たちに1mの長さを実感させるのに一役買ったといわれることがあるが、実際に当時に製作された像はきっかり1mではないことが多い。
像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できないことと、児童が像の真似をすると交通安全上問題があることから、1970年代以降、校舎の立替時などに徐々に撤去され、像の数は減少傾向にある。
このように新設の学校には無い場合が多いのですね。
「修身」って言葉でカン違いされているかも。(思想的に)
修身=①自分の行いについて、悪を改め善に進むよう身を修め、整えること。②旧制の学校の教科目。国民道徳の実践、徳性の涵養(かんよう:自然に染み込むように徐々に養い育てること)を目的としたもの。第二次大戦後は廃止。(広辞苑)
身が引き締まるようで、いい言葉だと思いますが・・・。
報徳訓
2011年8月17日 ブログ
新聞の広告欄に「二宮金次郎と報徳訓」とありましたが、「報徳訓」???。
◆父母の根元は、天地の命令にあり
◆身体の根元は、父母の生育にあり
◆子孫の相続は、父母の丹精にあり
◆父母の富貴は、祖先の勤功にあり
◆我身の富貴は、父母の積善にあり
◆子孫の富貴は、自己の勤労にあり
◆身命の長養は、衣食住の三つにあり
◆衣食住の三つは、田畑山林にあり
◆田畑山林は、人民の勤功にあり
◆今年の衣食は、去年の産業にあり
◆来年の衣食は、今年の艱難(かんなん)にあり
年々歳々、報徳を忘れるべからず
天地の令名によって父母が誕生し、父母の生育によって我が身がある
これに報いるには、自己の丹精である
祖先の徳によって、父母の富貴がある
父母の徳によって、我が身の富貴がある
これに報いるには、自己の勤労である
生命の根源は、衣食住にあり
衣食住は、天道人道の徳による
これに報いるのは、人民の勤業である
今年の衣食は、去年の分度推譲に因り
今時も、報徳精神を忘れてはならない
家族や祖先に思いを巡らすお盆時期に、広告掲載した広告主の意図が的中した?かもしれない。
広告商品は購入しませんが、良い言葉を知ることができました。
意識することはあまり無かったのですが、二宮金次郎像は身近にあるはず!。
小学校には必ずあるだろう~ということで、南小立野小へ行ってみると・・・ありました・・・が、樹木に隠れて分かりにくい。
もっと目に着く場所にあればいいのに!。
小立野小にもあったことを思い出し行ってみると・・・。
あれれッ!
改築工事中で景色がガラッと変わっています・・・。
校門近くに、二宮金次郎像が設置されますように・・・願っています。