「春夏秋冬 料理王国」 北大路魯山人 読了。

 

~料理とは単に舌先でだけで味わうものではなく、また弄ぶものでもない。

耳から、目から、鼻からと、様々な感覚を動員して、「美」と「味」の調和を楽しむものだと思う。

色どり、盛り方、取り合わせ、材料の良否と、みな「美」と深い関連性をもって考慮されています。

栄養の効果という点からも「美」は見逃せない役割を担っています。・・・

・・・少し極端な言い方かもしれませんが、料理に「美」を求めぬ人は、当てがい扶持に満足する犬猫の類と同じだと言っても差支えないでしょう。

人々によって、もちろん楽しみの高さ低さは異なりましょう。従って、見解の相違もおのずから生じもしましょうが、なろうことなら、志を高くもって、料理を味わい、人間を高くしたいものです。~

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料理の他に、陶芸・書画・篆刻等を極めた、とてつもない芸術家であったが、とことん「美」を追求するあまり、「傲岸不遜、傍若無人」ともいわれた人物らしい。

石川県にも滞在したことがあるようで、金沢のゴリやカニについて触れられていますが、他に山代の沢庵が一番だと述べられています。

これなら敷居は低そう~。

また、山海の珍味と高価な食材を求める一方で、料理を出して、お客さんのところから残ってきた残肴(ざんこう)を生かす工夫の大切さを説いています。

 

~一椀の飯でも意味なく捨て去ってしまうことは許されない。

用あるものは、ことごとくその用を使い果たすところに、天命があるのだと思う。~

 

全身全霊をもって食べて、その中に「美」を追求していたのか。

食べることは楽しい~ハズだが、修行のようで疲れそう。

料理を囲んで、楽しい会話が出来れば、会話は素晴らしい調味料にもなると思います。

 

空腹は一番の調味料ともいいますが・・・。