「日本辺境論」 内田 樹・・・なんとか読了。

著者の作品は、とても興味深く、うなずきながら読むことが多いが、本書はとても難解でした。

文字を追うのが精いっぱい。

 

日本人とは辺境人である~「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。

常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。

日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった・・・。(本書カバー)

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・・・相手が攻撃してくる。

その攻撃をどう予測するか、どう避けるか。

そういう問いの形式で考えることそれ自体が武道的には「先を取られる」と解します。

「相手がこう来たら」という初期条件の設定がすでに「後手に回っている」からです。

武道的な働きにおいては、入力と出力の間に隙があってはいけない。

隙がないというのは、ほんとうは「侵入経路がない」とか「侵入を許すだけの時間がない」ということではなくて、そこに自他の対立関係がない、敵がいないということです。

間違って理解している人が多いのですが、武道の目的は「敵に勝つこと」ではありません。

「敵を作らないこと」です。(P.172)

 

・・・生きていることが絶えざる加齢と老化である以上、「私」が生きているいることそのものが「私」の敵である、「私」の敵は「私」であるという逆説的な結論まであと一歩しか残されません。

「敵」という概念は根源的な矛盾を含んでいます。

敵を除去すべく網羅的なリストを作成すると、世界は自分自身を含めてすべてが敵であるという結論に私たちは導かれます。(P.174)

 

書き出しばかりになりました。

こうやって書き出すことで、少しでも本書を理解しようとしています。

何となく分かったような気がする?。

でも、やはり難しいのでした・・・。