「零式戦闘機」 吉村 昭

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~昭和十四年三月二十三日午後七時すぎ、名古屋市港区大江町の海岸埋立地区にある三菱重工業株式会社名古屋航空機製作所の門から、シートで厳重におおわれた大きな荷を積んだ二台の牛車が静かに引き出された。

(中略)

・・・完成された機は(中略)胴体、翼に分離されて例外なく四十八キロへだたった岐阜県各務原飛行場に牛車ではこばれるのが常だった。~(P.5~6)

 

この牛車に積まれていたのは、十二試(昭和十二年度試作)艦上戦闘機(後の零式艦上戦闘機)の一号機。

工場と飛行場が離れていること、その間の道路状況が悪いためトラックで運ぶと機体が傷ついてしまう・・・といった、基本インフラ未整備のまま戦争状態に入ってしまったのが当時の日本でした。

この時代錯誤な機体輸送は、途中から馬に変わったが終戦時まで行われていたといいます。

飛行機工場に動員された人々も悲惨な状態だったが、牛馬も酷使されている。

終戦後、機体輸送にたずさわり、やせ衰えてしまった馬が空荷のまま、工場の焼け跡から立ち去っていくところで本書は終わります。

 

零式艦上戦闘機を始めとする世界水準の優秀な機体を、数多く生み出した技術者と工場ではあったが・・・虚しい。

国力の差が悲惨な敗戦の原因~と言う事実はその通りなのだが、その限られた条件の中で、まさに必死の努力と行動をとった方々のことを思うと・・・辛いです。

 

飛行機マニア目線で読みだしたことを反省。

著者が言うように、美化してはいけない過去はあります。