月別アーカイブ: 2019年10月
金沢マラソン2019
2019年10月30日 ブログ
やや日が経ちましたが、10月27日(日)に金沢マラソンが行われました。
本年もゴール地点でのボランティア活動?今回は、完走証発行班です。
画像は、トップのランナー氏・・・なんと2時間11分代!。
国際レベルじゃないか!。
何故か毎回、金沢マラソンは天候不順続き~今回も過酷な環境(雨天)でした・・・。
涼しくてよかった!と、いう言葉を3時間前半でゴールするランナー達は述べています。
国内で行われるマラソン大会は、やはり10月以降がいいと思われるのだが・・・。
ラストランナー到着まで、ボランティア作業を続けて喉は枯れるは・・・足は棒になるわ~ツカレマシタ。
ランナー諸氏ほどではないですケドねー。
皆さま、お疲れ様でした!。
民俗のふるさと
2019年10月24日 ブログ
「民俗のふるさと」 宮本常一
・・・日本に古くから伝えられている生活文化を理解するには、まず古いものを温存してきた村や町が、どのように発達して今日に至って来たかを知っておく必要がある、という視点から具体的にまとめられた、日本人の魂の根底に遡る生活空間論。・・・
たまに読みたくなる?著者の作品。
昭和39年(1964年)ごろ初刊行で、改訂版が昭和50年(1975年)ということで古さを感じるが、当時ぐらいまでが民俗学の実地調査の限界だったのかもしれない。
・・・日本の民衆はもと一般に非常に貧しかった。しかし貧しいにもかかわらず、それをそれほど苦にしなかった。村の人たちの協同によって、いざというときには支えてくれるものがあったからで、その協同の力を生み出していったのが、いろいろの慣習であった。慣習は法律でつくられたものではなく、人が共同して生きていくために、自然的に考えだした人間の知恵であり、しかもそれを持ちつたえて来たものであった。そうした慣習や行事は、時にはたいへん大切にされることがあるかと思うと、時にはお粗末にされ、またこれを消してしまおうとする努力の払われることもあるが、生活の中にしみこんでいるものとして、日常のなんでもない行為や物の考え方の中に生きていることが多い。
それが時にはわれわれの生活文化を停滞させることもあるが、誰に命令されなくても自分の生活を守り、発展させるためのエネルギーにもなる。ほんとの生産的なエネルギーというものは命令されて出て来るものではない。・・・(P.258)
本書では、能登や白山の村々のことがいくつか取り上げられていました。
民俗のふるさと~原点が色濃く残っていたのですね。
現在でも引き継がれていると思います。
田舎住まいでヨカッタ?と思うと同時に、民俗を引き継いでいかなければならない・・・という使命感も・・・少し。
オムライスもあるでよ
2019年10月21日 ブログ
黒い焼飯で有名な小立野の某洋食店。
洋食の定番オムライスも絶品です。(画像がイマイチだな・・・)
久しぶりに、いただいたら美味かった!。
お店のピークタイムを外して午後1時半過ぎ~2時に訪問。
混んでいると、あわてて食べてしまうが~空いているので、ゆっくりいただけるのでした。
美味しさも増します。^_^
また、食べに行かななければ!。
・・・ハヤシもあるでよ~ならぬ、オムライスもあるでよ。・・・
前田利長と高山右近
2019年10月20日 ブログ
昨日の記事にした、本郷和人氏の講演会に参加。
本郷和人が見る「前田利長と高山右近」
・・・加賀百万石といえば前田利家ですが、ぼくは長男の利長の働きこそが前田家繁栄のカギを握っていると考えます。関ヶ原の戦いの後、金沢城内で起きた横山長知による太田長知の暗殺事件。ここから利長と、ブレーンを務めた高山右近の戦いの軌跡を見ていきましょう。・・・
講演内容もさることながら、人気歴史学者の話を聞いてみたかったのでした。(ミーハー)
会場内は、やや年配の歴史オタク?な方々で埋め尽くされています。
一応、地元民ながら・・・横山長知(ながとも)・大聖寺藩主 太田長知(ながちか)の一件はマッタク知らなかった・・・。
知らないことがタクサン・・・というか、知らなさ過ぎ・・・。
高山右近~有名な武将の名前くらいは知っているが、どういう経緯で加賀藩との関係があったのか?は、かなり怪しいものです。
今回の講話で知った二人の長知の確執を始め、有名武将だけではなく、それに連なる有名無名関係なく、多くの人物によって歴史が動き~創られて来た~ことを再認識。
また、本郷氏のここだけの脱線話も面白かった。
ミーハーついでに書籍にサインしてもらいました・・・。(;”∀”)
世襲の日本史
2019年10月19日 ブログ
世襲の日本史 「階級社会」はいかに生まれたか 本郷和人
・・・どうも日本では「地位より人だ」と考えられてきたらしいのです。しかし、ここでいう「人」とは何かというと、その人のありのままの姿ではなく、その人が受け継いでいる「血」なのです。なるほどそれで世襲か。いやいや待てよ、より慎重にみていくと、「血よりも家」ではないか。「家」が肝心・要なのだ。まとめると、「地位より人、人というのは血、いや血より家」、これが日本の大原則だったのです。・・・(まえがき)
~といきなり冒頭で結論が書かれています。
「皇室」を思い浮かべるとわかりやすいかも。
実は、著者自身「世襲」が嫌いなようなのだが・・・。
・・・お寺や神社の運営については、「遷代の職(せんだいのしき)」と「永代の職(えいたいのしき」といものがあります。「職」は「職の体系」の「職」と同じで、権利という意味です。これは現代にもつながる問題です。
たとえばある人がお寺のトップに登り詰めたとします。すると、基本的にはお寺の財産はその人のものになります。しかし、寺に長く伝わる経や仏像を独断で処分してしまうようなことは許されるのでしょうか。(中略)ここで提起される問題は、「それは遷代の職なのか、永代の職なのか」ということです。
永代の職とは、古くから受け継がれ、さらに未来に手渡すような価値に関わるものです。一方で、時代の変化に応じて変えるべきところは変えるという判断は、遷代の職で考えなければなりません。(中略)
お寺の場合は家とは少し違いますが、前の時代の物を受け継いで次の時代の人に渡すということを、日本人はかなりきちんとやってきたと言えます。それは、自分が何かをするという感覚をどこかで押さえ込んで、その家の一員として振る舞ってきたということです。・・・(P.109~P.111)
引用が長くなりましたが、この「遷代の職」「永代の職」は、ピンポイントでタイムリー?で目から鱗でした。
また、日本の穏やかな気候風土も「世襲」に深く関係していたのですね。
昨今の過酷な気候変動やグローバル経済の流れに巻き込まれてしまっている現代日本。
「世襲」がやりにくくなってきているのかもしれない・・・。