「百鬼園随筆」に~風呂敷包~という随筆があります。

・・・本を読むのが段段面倒くさくなったから、なるべく読まないようにする。読書と云う事を、大変立派な事のように考えていたけれど、一字ずつ字を拾って、行を追って、頁(ページ)をめくって行くのは、他人のおしゃべりを、自分の目で聞いている様なもので、うるさい。目はそんなものを見るための物ではなさそうな気がする。・・・(P.51)

・・・人間の手は、字を書くのに使うものではなさそうな気がする。暮に文藝春秋社から手帖を貰ったから、お正月から日記をつけ始めた。昨日は誰が来たか知ら、今朝は曇っていたか知らと考え出すのが、段段面倒臭くなって、一月二十一日、土曜日に、「スンダ事二用ハナシ。モウ今日限リ止メル也」と書いて、今年の日記は、お仕舞にした。・・・(P.54)

そして、諸々の書類を包んだ風呂敷包みからお金が出てきた(ウレシイ?)という結び。

 

本を読むのはメンドクサイ、文字を書くのもメンドクサイ、随筆~屁理屈~妙に納得してしまいます。

文学史に残るような作家氏も、一般人と思うことは変わらない!(~と思う)。

こういう安心感?がベストセラーの要因かも。