笠舞の歴史

昨日(3月19日)に金沢に、遅めの「春一番」が吹きました。当ブログ3月6日分「風が吹いたら・・・」に春一番(風)のことと、それに因む「笠舞」の由来を書きました。そこで、笠舞の歴史パート2。

藩政時代は、現在と比較しようがないですが、とても災害が多ったようです。特に寛文9年(1669年)の夏から秋にかけて各地で洪水が発生し、58,000石分(約58,000人を一年間養える面積・作物量)の田畑が流失し、大凶作となりました。加賀6代藩主、前田綱紀公は土地家屋を失った人々を救済すべく、笠舞村に「御救い小屋」を設けて、住まいと食物を施したそうです。また被災者を収容するだけでなく、働ける人たちに草履やタワシを作らせたり、農具を与え、新たに開懇作業を行わせ田畑を作っていきました。(「崎浦郷土史」参照)

また被災者の中には、藤原清光という有名な刀工がいて、その後4代に亘り、笠舞で刀を制作したそうです。因みに「沖田総司」「東條英樹」といった人たちが、清光の刀を所有していたみたいです。現在、笠舞1丁目に清光の記念碑があります。

前述しましたが藩政時代と現在は、あらゆる面で比較しようがありませんが、歴史書でみると善政であったと感じます。

現在、震災で避難されている方々も、やがて復興に向けて活動していく時が来ます。その中には「清光」のような歴史に残る活躍をされる方も、数多くいらっしゃるはずです。支援は、まだ始まったばかり・・・。今は、義援金や多少の節電くらいしか出来ませんが、続けていきたいと思います。