ショッピングを哲学する?

読書会開催。

課題本は「ソクラテスと朝食を ~日常生活を哲学する~」

ロバート・ロウランド・スミス 鈴木晶 訳

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今回は、忘年会を兼ねての設営だった為か、14名の参加です。

さて、この本ですが・・・サッパリわからん~が感想・・・。

半月ほど読みさしで、読書会の2日前から斜め読みした程度。

一人づつ感想を述べるのですが、全員が一旦挫折?し、そのままだったり~何とか最後までたどり着くという内容ばかり。

少し安心?した。オレだけじゃ、なかったんだ!。

かつて、東洋哲学を専攻した方も、中断した~という難解本。

モットモ、理解程度は雲泥の差だとは思いますけど。

 

この本の中で、”ショッピング”という項がありました。

巨大なショッピング・モールに行くことが”哲学”されています。

~あなたがショッピングモールを「人工的だ」というとき、批判的なニュアンスを込めているのかもしれないが、ショッピング・モールのほうはこの言葉をお世辞と受け取るだろう。というのもショッピング・モールは「人工的」という語の定義を変えてしまった。もはや「人工的」は「自然」よりも劣るものではない。町のスーパーがしがみついているのは「自然」の価値だ。また、「人工的」な物はもはや自然の不完全な模倣ではない。ショッピング・モールの人工性は、自然よりも完璧に近い。その完全に制御された環境はたんに買い物客の楽園ではなく、まさしく天国である。あなたは不安に思うかもしれない----こんな傲慢な姿勢は神の怒りを買うのではないか、と。だが、ショッピング・モールに出かけるとき、私たちは言う、「そんなことはどうでもいい。」もう天国を待ちくたびれたので、先回りして、作ってしまったのだ。~

~ショッピング・モールが伝統的な市場を馬鹿にするのは、市場の田舎臭さを露骨に嫌っているからだけではない。市場というのは、町の中心にある広場に店を広げ、人びとは取引をしたり、ひやかしたりして、ありとあらゆる交換を推進するが、ショッピング・モールは非人間的な取引にこだわる。買い物客は、ほとんど機械的な微笑を浮かべた店員にクレジットカードを差し出すことは許されているが、両者が人間として交流することは固く禁じられている。~

ショッピング・モールへの偏見?断言することではないと思うが・・・。

パレットは、こんなんじゃ~ないんだが。モールでもないけど。

読書会では、著者が若いことと、訳者が哲学以外は門外漢なので表現が甘い!との意見も出ていましたね。

 

また、この本を開いてみようかな~と思う日は、やって来るかな?。