節談説教で聴衆沸かす

一で嫌がる寺参り、二で二の足踏みたがる、三で誘われ義理参り、四つ喜ぶ心なく、五ついつもの癖が出て、六つ無性に眠たがる、七つ何にもよう聞かず、八つやかまし起こされて、九つこれはと驚いて、十でとぼけた顔をする・・・。

 

節談(ふしだん)説教という、法話の中にリズミカルな節回しを織り込んだものがあると、紙上で紹介されていました。

法話を聞いていて~ありがたく?なって、眠りに落ちていって・・・と、なんだか自身のことをいわれているような気もする。

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~仏教の御利益とは思いがけない幸運のことではなく、逆境に向き合ったときにその苦難を受け止める力を持てることである。そのためには、平素から仏の教えに触れておく必要がある。~

妙境山浄念寺住職・藤野宗城

 

記事の締めくくりにあったコメントです。

“教え”にふれることで、御利益が得られるのかな。

そんなことを期待することなく、只ひたすらに念仏せよ~ということか。