聖地巡礼したくなる
「聖地巡礼 Rising 熊野紀行」 内田 樹☓釈撤宗
「聖地巡礼 Beginning」の続編です。
今回は多くの聖地が存在する紀伊半島・熊野巡礼の旅。
紀伊半島は熊野、高野山、吉野・・・歴史の舞台にも度々登場する場所ばかり、マサに「聖地」の中の「聖地」。
残念ながら、未だに何処へも行ったことはないので、是非!訪れたい、巡礼したい!。
名所旧跡があるから「聖地」ではなくて、その土地が持つ環境が重要のようです。
他の言い方をすると「大地の持つ豊かな霊力に祝聖された空間は、そこに生きる人たちの生きる力を賦活する」(P286)・・・これが特に強く感じられる場所が「聖地」。
現代人は、大地のエネルギー(?)やシグナルを感じられなくなっているらしい。
現代人が土地に求めることは、地価、駅からの距離、日照、騒音といった「商品としての土地」ばかり。(P287)
・・・確かに、そんな視点でしか見ていなかった。
その場でしか感じられない感覚、大地のシグナル・・・意識していない・・・ワカラナイ。
名所旧跡(聖地)を訪れたいと思う気持ちは、人の根底にある「自然を忘れてしまった危機感」みたいなモノから発しているのかも。
聖地巡礼することで、ナマクラになっている、”センサー”を研ぎ澄ます必要があるのかもしれません。
この本に興味を持ったことも同様なのだろうか・・・とムタムタ思ふ。