断腸亭日乗
摘録 断腸亭日乗(上)(下)永井荷風 著
~永井荷風は38歳から79歳の死の直前まで42年間にわたって日記を書きつづけた。
断腸亭とは荷風の別号、日乗とは日記のこと。
(中略)
この壮絶な個人主義者はいかに生き、いかに時代を見つづけたか。~
~(上)表紙カバー~
「困難な成熟」で紹介されていた中の一冊(二冊)です。
旧文体ということもあって、読み辛く時間がかかりました。
下巻に入ってからは慣れもあり、ややスピードアップ。
現代のブログ~SNSを読むようです。
胃腸が弱く、医者通いしている旨が多く綴られていますね。
それなのに、今も残る銀座や浅草界隈の飲食店へ毎日のように通っていらっしゃる。
失礼ながら、当時にしてもかなり破天荒な生活ぶりです。
自虐的な「断腸亭」という命名が、反骨精神も表しているようで興味深い。
戦前にありながら当時の政権や報道機関、日本人自体を批判しているところも。
小説家~アーティストと言われ歴史に名を残す人は、常人とは違うのかも。
でも~、好き勝手(に見える)して、うらやましい面も多々ありますねー。
1923年(大正12年)九月朔。
昒爽(こつそう)雨歇(や)みしが風なほ烈し。空折々掻曇りて細雨烟(けむり)の来るが如し。
日まさに午ならむとする時天地忽(たちまち)鳴動す。
予書架の下のお坐し『嚶鳴館遺草』を読みゐたりしが、架上の書帙(しょちつ)頭上に落来るに驚き、立つて窗(まど)を開く。
門外塵烟(じんえん)濛々殆咫尺(ほとんどしせき)を弁せず。
児女雞犬の声頻なり。・・・(中略)時に大地再び震動す。
身体の動揺さながら船上に立つが如し。・・・
関東大震災が克明に記されています。
下巻の昭和20年3月10日~の東京大空襲罹災についても同様。
夏前に戦争が終わる?8月には終わる?といった、ウワサがたっていたようです。
昭和34年(1954年)4月29日で終わり。(81歳??)
祭日。陰。・・・とだけ記す。
徐々に文字数が減っていく日記が哀しい。
現代ならば、どの様に記されていたのか?気になります。
また、永井荷風が通った飲食店巡りをしてみたい。