如月 朔日 逝きし世の面影
「逝きし世の面影」渡辺京二 著
一旦読みだしたが600ページにもなる大書にて途中挫折、~本棚の肥やしに・・・。
数年ぶりに手に取り再読開始しました。
幕末~明治期に来日した欧米人による日本と日本人の記録。
彼(ミットフォード)は1867(慶応3)年、開港の可能性を探るため、公使パークスとともに能登半島の七尾港を訪れたのであるが、その後公使の命によって加賀藩領から越前藩領を通って大阪に出た。
加賀の国の旅について彼は書いている。
「行くところはどこでも、金沢での滞在をあれほど楽しくしてくれたのとおなじように、思いがけないほど親切にわれわれを受け入れてくれた。驚きの念を禁じえなかったのは、沿道の村や町が豊かに繁栄していたことだ。人口が二千の松任や、二百五十の小松の町を通ったが、加賀候の寛容な統治下にあって、日本の他の地方では見られないほど幸せな生活を送っているようにみえた」さすがは百万石のお国振りといいたいところではないか。(P.108~109)
といった、当地についての記述もあります。
当時の外国人が感嘆した国民性、工芸美、景色の数々・・・。
100年以上前の『原・日本人』が持っていた宗教観、自然観、美意識・・・モチロン美しい面ばかりではなく、猥雑な面も書かれていて興味深い。
日本の原風景。
見るからに分厚いし中身も濃いので、当初は苦労?しながら読んでいましたが、途中からはスムーズになり、残りページが少なくなるのが寂しくなって来たり~。
でも、よく見かける薄っぺらい日本礼賛本とは違います。
「幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へと誘わずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明であった。徳川後期社会は、いわゆる幕藩制度の制度的矛盾によって、いずれは政治・経済の領域から崩壊すべく運命づけられていたといわれる。そして何よりも、世界資本主義システムが、最後に残った空白としての日本をその一環に組み込もうとしている以上、古き文明がその命数を終えるのは必然だったのだと説かれる。」(P.568)
本書で描かれたのは無くなってしまった徳川後期文明。
伝統文化・・・よく聞くフレーズだが、古くからの形やモノが残るものがそうなのか。
日本古来の『文明』は無くなってしまったのですかねぇ?。