ハプスブルグ帝国

「ハプスブルク帝国」 岩﨑周一

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聞いたことはあるものの、ほとんど分かっていない「ハプスブルグ家」。

・・・どれほど高名な一族でも、起源を辿る試みは、遡れば遡るほどあいまいになる。ハプスブルグ家もその例外ではない。その作業に従事する学者に対し、一七世紀の皇帝フェルディナント二世は、そのうちどこかの羊飼いにまで行き着くのではないか、と言ったという。

ハプスブルグ家の事績をある程度確かな形で確認できるようになるのは、一〇世紀以降のことである。この一族は、現在フランス、ドイツ、スイスの三国が境を接するライン川上流の豪族として歴史に姿を現し、次第に台頭していった。(P.12)・・・

 

ヨーロッパ中に親族がいる大家族みたいなイメージなんですが~真実は?。

・・・有名だが誤解も多いハプスブルグ家の結婚政策について触れておこう。これに関しては、「戦争は他国にさせておけ、なんじ幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」のモットーの下、ハプスブルグ家は政略結婚による領土拡大を図ったという説が広まっている。しかし、これは端的に言って誤りである。先述の言葉も詠み人知らずの揶揄に過ぎずモットーや家訓などではない。ブルゴーニュ、スペイン、チェコ、ハンガリーでハプスブルグ家に継承の可能性が生じたのは、相手方の系統断絶という偶然によるものだった。・・・(P.82~83)

 

現在に至るまで系統が続く名家?。

マクシミリアンはハプスブルグ家が古く高貴な家柄であることを系譜学的に立証しようと努め、ことにフランク王国との関係を強調した。ハプスブルグ家は神よりキリスト教世界の護持という使命を託された、選ばれし特別な一族であるという神権的選良意識はルードルフ四世フリードリヒ三世といった君主たちも抱いていたが、マクシミリアンは傘下の芸術家たちを使い、これを大々的に表象した(P.86)

 

「神の恩寵により」君主の座にあるという意識「神権的君主理念(ピエータス・アウストリアカ)」が一族内に連綿と続く。・・・オーストリアを敬愛せよ? 

 

神聖ローマ帝国の時代から~ハプスブルク君主国(ハプスブルク家の君主により統治された国家)は、ほぼヨーロッパ全土に亘り、スペイン王国はアメリカ新大陸~アジアにも覇権を拡げて行きます。

EU、ヨーロッパ合衆国の先駆けでもあった。

そのため、歴史的な事象(フランス革命・第一次・第二次世界大戦・・・)の度にハプスブルグ家の名が現れる。

なんせ、1000年分の人名が出て来るので混乱します。

横文字名に加えて一世~二世とかで益々混乱。

とても時間がかかったにも関わらず、字面を追っていただけ・・・。

しかし、知っている地名や人名が現れるとホッと安心し、彼の地を想像するのでした。

ワイン~の銘醸地がタクサンです。

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                     ルードルフ二世

日本ならば藤原氏でしょうか。