白骨の章

金沢販売士協会5月定期総会。

平穏無事?に総会を終えて講師例会へ移行します。

講師は会員の水上様で演題は・・・「白骨の章」。

 

 それ、人間の浮く生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、およそはかなきものは、この世の始中終(しっちゅうじゅう)、幻の如くなる一期なり。

 されば未だ萬歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰が百年の形体(ぎょうたい)を保つべきや。

 我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫(しずく)・末の露よりも繁しといえり。(数量が多い)

 さらば、朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。既に無常の風来たりぬれば、すなわち二の眼(ふたつのまなこ)たちまちに閉じ、一(ひとつ)の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装(とうりのよそおい)を失いぬるときは、六親・眷属(ろくしん・けんぞく)=(父母兄弟妻子親戚)集まりて嘆き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。

 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。(とても言いようのない、不十分)

 されば、人間のはかなき事は老少不定(ろうしょうふじょう)の堺なれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心掛けよ。

 

白骨の章~になぞらえて、ご自身の生い立ちから、起業~現在~将来のことを述べられました。

とても深く、このような心境になるには様々な経緯があったのだろうな・・・と。

 

「明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは。」親鸞

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」鴨長明

この言葉が浮かびました。