水無月 朔日 吾が敵は・・・
名将名言録 一日一言~ 六月一日
「吾が敵は本能寺に在り」 明智光秀
・・・備中高松城攻めの羽柴秀吉を加勢すべく命じられた光秀は、一万三千の兵を率いて丹波亀山城を発した。老の坂下の沓掛から道を南へとれば西国街道、東へ向かえば京都である。光秀は「信長に軍装を見せるために入京する」と偽り、道を京都へととる。桂川岸で軍装を整えた明智軍は川を渉る。ここでついに光秀は「敵は本能寺」と号令、攻撃目標が主君、信長であることを明かした。・・・
天正十年(一五八二)六月二日未明に本能寺は猛炎につつまれる・・・。
何故、光秀は主君打ちをしたのか?影の首謀者はいるのか?、信長はどこへ消えたのか?・・・とても興味深い日本史上の謎・ミステリーです。
いろいろと謎解きした説はありますが、真実はどうなのか?。
先月末あたりから始まった、日経文化面の特集「令和の知をひらく」があります。
そこでは、歴史学者の呉座勇一氏が「絶対の正解 求める危うさ」を語っていました。
・・・歴史に限らず「唯一絶対の正解があり、そこに必ずたどり着ける」と考える人は多いが、現在の複雑な社会で、簡単に結論の出る問題はない。性急に答えを欲しがり、飛びつくのはポピュリズムだ。
新しい時代を生きる上で重要なのは「これが真実」「こうすればうまくいく」という答えらしきものに乗せられることなく、情報を評価するスキルではないか。ネットを通じ、情報の入手自体は簡単になった。それをいかに分析し、価値あるものを選び出していくか。歴史学の根幹はこの「史料批判」にある。リテラシーを身につけるひとつの手段として、歴史学の研究成果に親しんでもらえたらと思う・・・・
歴史を楽しむ?ことで、スキルアップ~。
「本能寺の変」は、史料が少ないうえに400年以上も前のことだから、「真相」を求めるのは無理でしょうね。
でも、推理する楽しさはあります。
歴史上の出来事ばかりではなく、現在~未来のことも推理・予想することが大事なのでした。
正解のない課題ばかりだが・・・それも自分で考える!。
吾が敵は、安易に答えを求めることに在り・・・。