宮沢賢治 デクノボーの叡知

「宮沢賢治 デクノボーの叡知」 今福龍太

・・・ほとんどの作品を「未定稿」のまま遺した宮沢賢治。生涯にわたり書き換え続けられたその手稿が示す「揺らぎ」と可能性を丹念に追うなかで、賢治世界=イーハトーブのまったく新しい姿が見えてきた。石、風、火山、動物などの実在物や、心象、未完といった構造に隠された賢治の創造原理を解き明かし、いまを生きる私たちの「倫理」を問う、画期的批評。・・・(本書カバー)

 

デクノボー・・・役立たず~とか、人を嘲る意味が強いと思っていたが・・・。

 

賢治的なデクノボー(土偶坊)は、単に思慮のない存在というのではありません。(中略)デクノボーとは、生きることの悲しみと慈愛とを、ともに全面的に引き受け、俗知としての賢しさに染まることなく超然としている、「知のある無知」の存在といっていい、賢治の理想自我でした。(P.28)

 

漢字だと「土偶坊」なんですね~土偶です。

ユーモラスな形状が多いので、役に立たないと思われていたので「デクノボー」になってしまったのかもしれない。

しかし研究の結果、土偶はとても大事な存在だったことがわかった。

縄文期の人びとが祈りを込めて~呪術的な目的で作られたと考えられる土偶。

宮沢賢治の故郷であり、活動の舞台でもあった東北地方での出土例も多かった。

 

宮沢賢治の世界感は、縄文期と結びついているような気がしました。

「銀河鉄道の夜」「よだかの星」「気のいい火山弾」「風の又三郎」・・・あらためて読んだら「発見」があるかもしれない。

 

雨にもまけず 風にもまけず 雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち

欲はなく 決して怒らず いつもしずかにわらっている 一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜をたべ あらゆることを じぶんをかんじょうに入れずに

よくみききしわかり そしてわすれず 野原の松の林の蔭の

小さな萓ぶきの小屋にいて 東に病気のこどもあれば 行って看病してやり

西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい

ひでりのときはなみだをながし さむさのなつはオロオロあるき

みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに

わたしはなりたい

 

何となく分かった?。