やがて哀しき外国語

「やがて哀しき外国語」 村上春樹

・・・本の中身を読んでいただければわかるように、僕は一九九一年の初めから、約二年半にわたってアメリカのニュージャージー州プリンストンに住み、そのあと二年間をマサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいました。この本は、そのうちのプリンストン時代のことを書いたものです。

文庫本になる現在の時点(一九九七年)でもう一度読み直してみると、「いろんなことがずいぶん変わってしまったな」とつくづく実感します。ほんの五年か六年のあいだに、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本のバブル経済は今では完全にはじけてしまったし、どん底にあったアメリカの景気はなんとかしっかり持ち直してきたし、おかげでー喜ぶべきか悲しむべきかー当時の厳しい「ジャパン・バッシング」はもうほとんど姿を消してしまった。変われば変わるものです。・・・(まえがき)

 

今から30年近く前の本書内容です。

当時の自分は何をしていたか・・・を重ねて、思い出しながら読みました。(まったくレベルが違うのですが。)

 

「ブルックス・ブラザーズからパワーブックまで」の章が、偶然にタイムリー。

この辺りから(当時から)ブルックス・ブラザーズも、自分も「伝統」という言葉で思考停止していたのかもしれないな・・・。

パワーブックは使ったことないが、アップルは今でも最先端。

 

(まえがき)にもあるように「いろんなことがずいぶん変わってしまったな」とつくづく痛感します。

ハルキ・ツーリズムをしようにも、海外へ自由に渡れるのは果たしていつになるのやら・・・。

こういう紀行文?エッセイでその気分を補充しようか。

作者の言う「哀しき外国語」とは、これも月とすっぽん以前のレベルですが・・・。