文月朔日 宗教と日本人

「宗教と日本人」 岡本亮輔

 

・・・日本では信仰を持たない人が大半を占めるが、他方で仏教や神道、キリスト教の行事とは縁が深い。日本人と宗教の不可思議な関わりはどこへ向かうのか。新宗教の退潮とスピリチュアル文化の台頭、変わる葬式や神社の位置づけ、ケルトや縄文など古代宗教のブーム・・・。(本書カバー)

 

どんな信仰でもいいのか?そして、信仰を持たないのは悪なのか?・・・素朴な疑問なれど、誰に聞く?教えてもらえる?理解できる?。

そもそも、こんなことを思っていることが自体ダメ?~また、イイとかダメの判断基準はどこにある?。

果たして、自分自身には本当に信仰があるのか?。

読み始めた途端に上記のような疑問が脳裏をよぎる。

 

・・・宗教という言葉は多義的である。話者や文脈に応じて、宗教団体・寺社・信仰心・祭礼・儀礼実践など様々な意味で用いられる。ある場面では、カルト団体は偽宗教で、神道や仏教のような伝統宗教こそが本物とされる。別の場面では、初詣・葬式・墓参りは宗教ではないと言われる。また、神社でお宮参りをし、キリスト教会で結婚式を挙げ、仏式で葬儀を行う日本人は宗教音痴であり、本質的には無宗教であるといった語りもある。・・・(まえがき)

 

一般的に宗教は、死後の生など超越的な世界との関わりを目指す営為と考えられ、それは教団という組織に所属することで実践されます。

しかし、そうしたことを求める人は減っている。

その一方で、パワースポット巡りや精神世界巡り?スピリチュアルに興味を示すことは多い。

 

初詣~神社仏閣巡り(葬式も?)「信仰なき実践」で、癒しや気分転換を得ることが「現代日本の宗教感」のようです。

スポーツや芸術・観光と競合しているというが・・・。

 

・・・死生をめぐる究極的な問いに応え、魂に救済を与える。宗教がこうした機能を果たし続ける社会もあるし、日本にも宗教に救いを求める人は存在するだろう。だが、多くの日本人にとって、宗教は、それなりに特別な情緒を得たり、気分転換したりするための清涼剤のようなものだ。そうであれば、その体験についても、たとえば観光や映画と同じような、一般メディアで流通しやすいガイドブック的な語りがますます広がり、宗教は世俗社会の文化としての性格を強めてゆくだろう。・・・(P.213)

 

この現状に危機感を持っている宗教(教団)は多いでしょう。

先ず、興味を引いてもらうにはスピリチュアル路線なのか~。

末法の世の中?日本だけか、世界中も?。