生物はなぜ死ぬのか
「生物はなぜ死ぬのか」小林武彦
・・・加齢による肉体や心の変化は、やむを得ないことだとわかっていても、ポジティブに捉えることはなかなか難しいものです。若い頃を懐かしく思い、老化した身体を愁うこともあるでしょう。身近な人の死に直面して、悲しみに暮れることもあるでしょう。老化は死へ一歩ずつ近づいているサインであり、私たちにとって「死」は、絶対的な恐るべきものとして存在しています。
そこで、こんな疑問が頭をよぎります。
なぜ、私たちは死ななければならないのでしょうか?
生物学者の私から見ると、生物の仕組み、ひいては自然界の仕組みは、偶然が必然となって存在しているーつまり「たまたま」だと思っていたのが、「なるほどね」と思えることばかりなのです。・・・(はじめに)
原始の地球上に生命が誕生した確率を表すたとえに、25メートルプールにバラバラに分解した腕時計の部品を沈め、ぐるぐるかき混ぜていたら自然に腕時計が完成し、しかも動き出す確率に等しい~というのがあるそうです。
それぐらい~とてつもない時間と偶然?奇跡?の積み重なりの成果が、生命の源のような存在だった。
そこからさらに、とてつもない時間をかけて生命のようなものから進化して、現在の地球上の全生命がある。
このことからも、地球上にはムダな存在は無いし、すべてがつながっている・・・と思う。
生き物が生まれるのは「偶然」で、死は「必然」・・・死=消滅ではなく、生物のターンオーバー(生まれ変わり)で、生物は進化し連続性を維持してきた・・・これからも同様に。
「真実」は、ヒトを含む全生物の中にある・・・のだと感じました。
それが宗教感として~そして時にはオカルト?として表現されることがあるのかも。
生物学からの視点で、宗教的な解釈~利己的に生まれ利他的に死ぬ・・・。
かなり冒険的な内容です。
コロナ禍で人同士のコミュニケーション取りづらく、感染症への恐れもある時期だからこそ、本書が注目されたのかもしれない。
巻末に「死」とAIとの関係が語られています。
ヒトを凌駕するAIが出てくるかもしれないが・・・その時、AIはどのように判断するだろう?。
「恋するアダム」「クララとお日さま」は、意外と身近になっている。
「なぜ死ぬのか」を言い換えると「どう生きるか」になると思いました。