スニーカーの文化史

「スニーカーの文化史」いかにスニーカーはポップカルチャーのアイコンとなったか ニコラス・スミス=著 中山宥=訳

 

・・・競技場からストリートへ ストリートからSNSへ ライフスタイルとカルチャーの変革を見つめ、誕生から現在までをたどる、スニーカー・クロニクル(年代記)・・・(本書帯)

原題は「 KICKS THE GREAT AMERICAN SNEAKERS 」

 

1830年代の合成ゴム開発から~アディダス&プーマを設立したダスラー兄弟の確執~ビル・バウワーマンとフィル・ナイトのナイキ創設話~オニツカタイガーとの決別~なつかしさ満載の大河ドラマ風に読む。

コンバース・オールスター、プロケッズ・ロイヤル、オニツカタイガー・リンバーアップ、アディダス・スパースター、スタンスミス、ナイキ・ワッフルトレーナー、ニューバランス320・・・本書に登場する往年の名シューズの数々。

ネットで、その姿を確認しながら読み進めます。(版権・肖像権(シューズにもある?)のためか、それと特定できる画像やイラストが一切本書には掲載されていません!。)

久しぶりに見るシューズ達の姿は感涙モノ・・・(アレッ?一世を風靡したB社ブランドが無いのはなぜ?)。

 

現在も復刻モデルが存在するが、オリジナルが持つ何とも言えない雰囲気と存在感は、当時の現物を手にしたことがなければ理解できない!と思うのでした!!。

なお、個人の見解ですけど、用途がスポーツ向けの靴が「シューズ」で、見かけはシューズだがファッション志向が高いと思われる靴を「スニーカー」と呼び区別しています。

 

なつかしがってばかりではイケマセン。

「TOKYO 2020」も佳境ですが、以前はオリンピック=アマチュアスポーツの祭典だったことを忘れてはならないと思います。

最高レベルのスポーツ競技を求めると、プロ競技と重なってくるのは致し方ないのかもしれませんが・・・。

本書でもプロ選手や有名選手に自社ブランドの競技用シューズを提供することの是非が、問われた古き良き時代?が書かれています。

 

今や、スポーツ選手だけではなく、アーティストや芸能人が身に着けているスニーカーに注目が集まりSNSで拡散され、異常な人気を呼ぶ。

ファッションブランドとのコラボで、これまたスニーカー盗難や強盗騒ぎまで起きてしまう。

シューズ(スニーカー)の生産国での過酷な製造現場環境が明るみになったり、履いていた人物のスキャンダルでブランドイメージを著しく低下させることもある(その逆も)。

販売方法もショップ販売からネットに移行し流通僻地は無くなり、いたるところでレア物の入手が可能になった。

 

・・・スニーカーブランドは、消費者から注目され、選ばれ、先々まで買い続けてもらえるように、考えうる限りの努力を重ねる。しかし最終的には、購入後にどう扱うかによって、消費者とスニーカーの関係が定まる。買ったスニーカーを毎日履くかもしれないし、特別なときだけ履くかもしれない。スポーツに活かす人もいれば、おしゃれに活かす人もいる。真新しいまま箱のなかに保管して、いずれ転売するつもりの人もいるだろう。ごみ箱へ投げ込まれて燃やされ、SNSで見世物になるスニーカーもある。愛されるスニーカーもあり、ないがしろにされるスニーカーもある。・・・(P.333)

 

かつてシューズ(スニーカー)コレクターだった一人?としては、転売目的や破壊するなんて考えられない暴挙です。

スポーツ選手&メーカー・小売業者以外が金儲けの手段としてシューズを扱うなんて・・・でも、オリンピックも含めてスポーツを取り巻く環境は拝金商業主義にどっぷり浸っているのだなあ。

キレイごとばかりでは、モノゴトが上手く行かないことの方が多い・・・現実。

 

本書のおかげでスポーツシューズ興味を持ち出した頃の「キレイ」な面を思い出すことができました。

だから、当時のシューズが輝いて見えるのかもしれない。