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月別アーカイブ: 2017年8月

葉月 晦日 

ふと、地面を見ると・・・。

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セミの羽根がありました。

微妙に動いているので、よく見ると何匹ものアリが羽根に取り付いています。

セミ本体は朽ち果ててしまったのか、どうなったのか・・・。

 

夏の終わりを感じさせる一コマ。

最近読んだ「方丈記」の冒頭を思い出す。

まだ残暑は長引くらしいが、足下では季節の移ろいが見られます。


ブレずに真っ直ぐ

前回の「ややこしい~」が、解決しました。

杞憂だったのかもしれませんが、とにかくスッキリしたので良かった良かった~と思ふ。

精神世界?を巡りました。(こういう書き方がややこしい)

自分の考え方にブレは無かったと思います。

〇〇〇に支えられていることを感じました。

このことに気づくための件だったのかもしれません。

アリガタイ・・・ことです。

 

ますます、意味不明になりましたね?。(^-^;


ふるさとの生活

「ふるさとの生活」宮本常一

・・・著者は若き日の小学教師の経験を通し、ふるさとに関する知識や理解を深めることが子どもの人間形成にとっていかに大切であるかを生涯にわたって主張した。本書は日本人の生活の歴史を子どもたちに伝えるため、戦中戦後の約十年間、日本各地を歩きながら村の成り立ちや暮らし、古い習俗や子どもを中心とした年中行事等を丹念に掘りおこして、これを詳細にまとめた貴重な記録である。・・・(本書カバー裏面)

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昭和25年(1950年)に出版された小中学生向けの復刻版です。

 

山奥の辺ぴなところにも、かつて集落があった。

雪深い山中にも人は住んでいた。

なぜ、誰も住まなくなったのか

そもそも、そんな不便なところに住む必要があったのか。

洪水・山崩れ・津波が原因で「ほろびた村」も各地にあった。

そして、飢饉で「ほろびた村」も・・・。

第一章は、「ほろびた村」から始まるのですが、冒頭から小学生には衝撃的なのではないか?と思ったり。

・・・歴史は書かれている書物のなかだけにあるにではなく、このような、ほろびた村のあとにも、また私たちのくらしのなかにもひそんでいます。そして、そういうものがあきらかになってこそ、日本人はほんとにどんな生き方をしてきたかがあきらかになると思います。・・・(P.32)

 

かつては「休みの日」にも意味があった。

身体の骨休みもあるが、神の祭りの日が休みであり、神さまに対して、つつしみを持たねばならぬ時は働かなったようです。

微かに記憶に残る風習(年末~正月風景中心だが)をみて、なつかしさを感じます。

行楽や飲食に明け暮れる?だけの現在の過ごし方を考え直すことも、チョッと必要かもしれないなぁ。

 

・・・村を、今日のようにするためにかたむけた先祖の努力は、たいへんなものであったと思います。その努力のなかにこそ、のこる歴史があったのでした。私たちは、いつでもその人たちの前進しつづけた足おとがきけるような耳と、その姿の見えるような目を持ちたいものです。・・・(P.224)

 

現在の生活は、将来的に「民俗学」という視線で見ることが出来るのだろうか?。


ややこしい~

思うところあって、その関係者に手紙を書きました。

仕事関係じゃありません。

トラブルではないし、ましてや色恋沙汰でもありません!。

 

手紙を書きながら、どんよりとした気持ちが徐々に晴れて来るのを感じる。

書き出すことで、気持ちの整理がつくのでした。

自分を偽ることはできない。

自分の望む結果になるか、そうではなくなるか、はたまた別の展開になるか?。

あれこれ思案していても仕方がない・・・ということでアクションを起こしました。

後は、その後の結果に応じて、対応するしかないと思います。

 

よくわからないですねー。(^-^;


方丈記

「方丈記」 鴨長明 現代語訳付き(簗瀬一雄 訳注)

51zJremSs0L__SX350_BO1,204,203,200_.jpgゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。

世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

 

・・・流れて行く川の流れは絶えないのであるが、しかし、その川の流れをなしている水は刻刻に移って、もとの水ではないのだ。

流れが停滞しているところの水面に浮かぶあわは、一方においては消えるかと思うと、一方においては浮かんで、一つのあわが、そのままの姿で長くとどまっているという例はないものだ。

世の中に住んでいる人間と、その人の住居とは、やはりこのように、一時も停止しないものなのである。

 

「枕草子」・「徒然草」とともに日本三大随筆に数えられる「方丈記」を初めて読むのでした。

穏やかな感じ(古典で習ったと思う)の「枕」・「徒然」と違い、いきなり「ゆく河の流れは絶えずして・・・」で、人の命もそれを支える住居も無常だという諦観(!)の下、次々に起こる大火・台風(竜巻?)・飢饉・地震などの天変地異が描かれます。

また、突然の福原遷都に対する政治的な不平不満も。

現代語訳だけだと、直ぐに(20頁も無い)読み終えることができます。

原文はつらい。

 

800年前も、現代も殆んど変わっていないのか。


実地演習

ちょっと意見を聞かせて?ということで、誘われて市内某所の飲食店にてランチ。

最近オープンされたお店です。

時間帯?のためか、店内は我々だけ。

オーダー後、ほどなくして注文品の到着です。

メニュー写真とチョッと違うなー。(見かけダウン↓)(^-^;

味は可もなく不可もなく。

ササッ!と食べて、お店を後にしました。

 

専門的な知識がないので、シロウト目線感想でしかないが~現在のままだと、継続厳しいかな。

誘ってくれた方も同意見。

我流・・・意見やアドバイスが聞き入れられないという~お話も。

 

どちらかというと、悪い点は見つけやすいです。

良い点を伸ばすのが繁盛の要なんですが、ソレは有ったかな?。

 

他人のコトは分かるけど、自分のことは気付かないコト多し・・・。


イザベラ・バードの旅

イザベラ・バードの旅『日本奥地紀行』を読む  宮本常一

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イザベラ・バードは、1878年(明治11年)6月~9月にかけて東北~北海道を旅し『日本奥地紀行』を著します。

その紀行文について宮本常一が講義する内容。

・・・イザベラ・バードという女の人が、初めて日本へ渡って来たのは四七歳だったと書かれています。そしてまず東北から北海道の南部、アイヌの住んでいる地帯を三ヵ月ほどかけて歩いて、その後何度も日本へやって来ているのです。(中略)

しかも最初に日本へ来た時には、日本についての予備知識は何も持っていなかったし、日本語も全然できなかったわけです。(中略)

イザベラ・バードの場合は、一八歳になる伊藤という男~まことにいかがわしい通訳~がついて旅をしている。

どこかずるいところがあるのですが、それでも二人が非常に充実した旅ができたというのは、やはり日本人の持つ人のよさみたいなものがあったのではないかと考えます。・・・(P.14)

 

外国人女性が行く先々で目にしたり体験するのは、明治時代とはいえ農村部は、藩政期と変わらない生活風景の数々・・・。

蚤(のみ)の大群が襲来したために、私は携帯用の寝台に退却しなければならなかった。粕壁(春日部)

そのくらい、当時の日本は至るところ、蚤がいるのは当たり前!。

ねぶた祭り(青森)は、夏になると蚤で眠られないので、その眠気・ねぶけ(=蚤)を流してしまうのが由来だとか。(災難除けにもつながる)

 

また、外国人(異人さん)が来る!ということで、行く先々で見物人が殺到しプライバシーの無さを嘆いています。

・・・プライバシーが殆んど問題でなかったてことが、逆にお互いが安心して安全な生活ができたということなのです。例えば女が一人で旅ができるということは、プライバシーをわれわれがそれほど尊ばなくてはならないようなことがなかったからではないか。われわれの生活を周囲から区切らなきゃならない時には、すでにわれわれ自身の生活が不安定になっていることを意味するのではないかと思うのです。(P.65)

大らかな時代だったのですねー。

 

・・・ずいぶんしどろもどろの旅をしながら、日本の旅というのはきわめて安全であった。

この旅の中で悪意を以ってこの人(イザベラ)を迎えた者はいなかった。われわれが一番垢抜けていないと思っている東北の地で、人々の間には連帯感と善意が満ちあふれていたことをふりかえってみますと、一体文化とは何だろうと考えさせられるのです。

 特に伊藤という通訳の青年の猛烈な勉強ぶりを、イザベラ・バードはいたるところで感心して書いているのですが、その後の日本の歴史のどこにも、伊藤のことは出てこない。ずいぶんいろんなことをしたのだろうと思うのですが、こういう人たちも一個の塵のように社会が飲み込んで巻き込んでいくほどに国全体の人たちが前向きに活動していた。つまり彼の勉強が周囲の人より群を抜くものであれば、どこかに残ったはずだが、残らなかったということは、彼の周囲にとにかく必死になって外国の文化を吸収しようとしていた人たちが当時の日本にはすごくたくさん出てきておったのだろうと思われます。(P.187~188)

 

蚤が多かったりと未開な面は当然あったが・・・、当時の日本と日本人は、諸外国から見ると稀有の存在だったのですねぇ。


トクホ?

かつては、コーラとか炭酸飲料をよく飲んだな~。

最近はカロリーを(一応)気にして飲まなくなりました。

同じ泡の出るのならビールの方がいいや~、というのもあります。

この場合は、カロリーをあまり気にしなかったり・・・。

 

タマに飲みたくなるのは、過去に大量摂取した夏の記憶がフラッシュバック(大げさ?)するからか?。

ということで、こんなコーラを選びました。

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トクホ(特定保健用食品)コーラ、カロリーゼロ。

気が抜けたみたいであまり美味しくありません。

仕方無いですけど。

これを飲んでいれば、健康になれる?系商品。

効果のほどは、よくワカラナイが。

 

・・・タマにしか飲まないのなら、オリジナルの赤コーラでよかったかな?。


センシュアス・シティって・・・

「本当に住んで幸せな街」 全国『官能都市』ランキング 島原万丈+HOME’S総研

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本書では「他人との関係性」「五感で感じる身体性」を基準にした「官能」(センシュアス)という言葉をキーワードに、まちを再評価する試みを行う。上からの再開発や、均質化された都市計画によって、まちの個性や多様性が失われつつある現在、本当に住んで幸せなまちとはどこにあるのか?中央/地方を問わず、そこに生きる人たちの、まちに対するリアルな評価を可視化し、近未来のまちのイメージを探っていく。(本書カバー)

身体性の4指標・・・食文化が豊か、街を感じる、自然を感じる、歩ける

関係性の4指標・・・共同体に帰属している、匿名性がある、ロマンスがある、機会がある

~に基づく調査の結果、都市のランク付けがされているのだが、調査対象者が不明確?。

金沢市が地方都市の中では高評価なのは喜ばしいが・・・何か意図的なような。

中身が薄いな~、こんな感じで街をランク付けしてしまっていいものでしょうか?。

興味深く読みだしたが、チョッと興ざめしてしまった。

そもそも、こんな風に街順位を付ける意味がワカラナイ。

 

当地、金沢に住んでいるからこそ、感じたことなのかもしれないが・・・。


休館日です

前回、書いた件の会場は一里野高原の某ホテルにおいて、夜間の開催。

行ってみると、何故か夜なのに歩いている人が多いな?。

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その理由は、夏季限定ながらスキー場斜面の一部をLED照明で装飾してあり、その見学者でした。

画像では分かりにくいが~キレイです。

あの手この手で集客を図っているなー。

しばし、休日気分を味わえました。

 

そして、本日8月22日(火)は1階部分は設備点検のため休館となっています。

・・・そんな中、社内でムタムタ業務。

静かでいいです。

正午前後に所用があるので一旦外出しますが、再び戻ってくる予定。

 

以上・・・失礼致しました。


油断~その後

風邪の初期対応を誤る(甘くみていた・・・)。

咳込んで眠れないのでした。

買い置きの総合感冒薬を飲んでも、効き目がありません。

やっと、お盆明けに内科受診して現在に至るも完治せず。

こんなに長引く咳は久しぶりかもしれない。

早めに適切な対応をして受診すればよかった・・・後の祭り。

反省材料が、また増えました。


ゆりかごから墓場まで・・・

「教養としての社会保障」 香取照幸

社会保障というと、社会保険料が伴う健康保険、年金、雇用保険、介護保険といった項目を思い浮かべます。

よく見かける言葉ですが、手続きや制度自体がややこしい?イマイチワカラナイと感じています。

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少しでも、その理解が進めばいいなぁ~との思いで読みだすのでした。

著者は、厚労省年金局長も務めた「ミスター年金」ともいわれるエース官僚。

退官され、現在は在アゼルバイジャン共和国日本国特命全権大使だそうです。

 

読みながら・・・付箋っを貼った頁が増えていく・・・。

「すべての国民が社会的、経済的、精神的な自立を図る観点から、

(1)自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本として、

(2)これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完し、

(3)その上で、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し(略)、受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などを「公助」として位置付ける。」

ということになります。そして、ここでいう「共助」のシステムとして、国民の参加意識や権利意識を確保する観点から、負担の見返りとしての受給権を保障する仕組みとして、国民に分かりやすく負担についての合意が得やすい社会保険方式が基本となっているのです。

つまり、現行の社会保障制度の基本的な哲学は、「自助」を基本に「共助」で補完する、ということです。自立を支えることが社会保障の目的だと位置付けられるのです。

国民は社会的、経済的、精神的に自立をし、自ら働いて自分の生活を支え、自分の健康は自分で維持する、というのが基本です。しかし、自助だけではリスクを防御しきれない場合もあります。病気になった人がそのたびに社会からこぼれ落ちるということがないように、互いに支え合うこと、すなわちそれぞれの生活のリスクを分散する「共助」で補完して、それでも困窮に陥ってしまった人を「公助」で支えるというのが我が国の社会保障の基本です。(P.47~48)

 

社会保障制度は、毎年100兆円ものお金が動く、常人では計り知れない世界です。

このような制度・仕組みを編み出し普及させた官僚と呼ばれる方々は、とてつもなく優秀。

また、国家財政、経済、教育、医療、治安と社会保障の仕組みはすべて連動しているということがよく分かりました。

 

その点からも少子高齢化への対応は待ったなし!。

それも持続可能なモノが求められるが・・・難。

優秀な官僚の方々に頑張っていただかねば・・・と思う一方、同時に我々も制度を理解し協力する姿勢が求められるのだなぁ。

・・・著者の術中にハマったのかもしれないが、現実なのです。

一家に一冊?。


ふたたび路上から

とある夏の夕暮れ時。

定位置で横になっている近所ネコです。

夏でも毛皮をまとう、彼ら(彼女?)の方が暑さは堪えるでしょうね。

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近寄ってもほとんど動きません。(耳を多少、動かす程度)

失われた野性をさらけ出す。

暑さでグダッているのか、安心しきっているのか~、はたまた両方か。

・・・という姿を見ているとなごみます。


夢のまた夢

名将名言録一日一言~八月十八日

「つゆとをち つゆときえにし わがみかな なにはの事も ゆめの又ゆめ」豊臣秀吉

慶長三年(一五九八)八月十八日 病没した秀吉の辞世句といわれています。

戦国乱世を生き抜き、「天下人」となって栄耀栄華を極めながらも、同じくらいの大きな不安に苛まれていたのか?。

後世の創作かもしれないが。

 

邯鄲夢の枕」を思い出しましたが、チョッと違うか?。

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 亻(にんべん)に夢で「儚い」。


「ひとり」の哲学

「ひとり」の哲学 山折哲雄

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「独居老人」「孤独死」など、まるで「ひとり」が社会悪であるかのように世間は言う。が、人は所詮、ひとりで生まれ、ひとりで死ぬ。「孤独」と向き合うことで、より豊かな生を得ることができるのだ。親鸞、道元、日蓮、一遍ら、先達の生き様を振り返り、日本思想の源流ともいえる「ひとりの覚悟」に光を当てる。(本書カバー)

 

苦手な哲学本・・・。

前半は、日本史上の宗教思想家の痕跡を訪ねる紀行文がタイクツでした。(失礼!)

親鸞道元日蓮一遍・・・どんなお顔とお姿だったか?。

ネットで画像検索しながら読み進めます。(あーそうだった!)

他にも、空海最澄法然鴨長明空也西行良寛・・・続々登場。

その都度、微かな知識をネット検索で補うのでした。

本書のおかげで興味が拡がる。

哲学というより日本思想史的な読み物として。

後半に本書のエッセンスが凝縮されています。

強い「ひとり」になる!。

 

おのづから相(あい)あふ時もわかれても ひとりはいつもひとりなりけり 一遍


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